幽霊記 (新人物往来社文庫)

新人物往来社2010-07-07 ¥720
ウィッシュ 文芸作品

[投稿日] 2010年6月23日

1.森 【2010-06-22 9:0】
表題作「幽霊記 小説・佐々木喜善」 は第98回(1987年下半期)の直木賞候補作の由。同じく三好京三の小説『遠野夢詩人』も1987年初刊だったのは偶然なりや。

2.kamiyam 【2010-06-24 9:0】
私の読書記録コメントに挙げたサイトを作成した人物のブログ記事に「「幽霊記」(副題は小説・佐々木喜善)が発表された昭和62年/1987年ごろは、岩手の辺りから、どんどんと佐々木喜善再評価の熱が上昇していたときでもありました(たぶん)」とあるようですが(中国からcocolog閲覧ができないので、Googleで表示されたとこだけ)、それが本当だとして、「佐々木喜善再評価」ってのが具体的にどんなもので、何をきっかけに起こったものなんでしょうかね。http://www.naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/70098-c69b.html
室井康成によると、1980年に遠野市立博物館が作られ、1987年に遠野常民大学が発足するなど、80年代に「遠野市民による『遠野物語』の“読み直し”作業が具体化」したそうですが、それが長尾や三好の創作に影響を与えているのかどうかは?室井康成「『遠野物語』をめぐる“神話”の構築過程—その民俗学史的評価へ向けての予備的考察—」(『総研大文化科学研究』第4号、2008年3月)
http://www.initiati

モダンガールと植民地的近代――東アジアにおける帝国・資本・ジェンダー

[投稿日] 2010年6月5日

1.森 【2010-06-04 9:0】
 編者の一人である坂元ひろ子著の『連鎖する中国近代の“知”』(研文出版、2009.11)がAmazonに情報無いため登録できぬ。cf. http://www.bk1.jp/product/03235517
2.kamiyam 【2010-06-04 9:0】
昨年からいつになったらAmazonに情報が登録されるのかと思っていましたが、いつまで経ってもされませんね。研文出版や柏書房はデータがごそっと抜け落ちているようです。売れない本は必要ないということでしょうか。
3.ekura 【2010-06-06 9:0】
Amazonと取引していないということではないでしょうか。岩田書院さんもたしか新刊ニュースの裏便りで言ってたと思いますが、抜かれるマージンがけっこう割高で、何千部も売れれば得になりますけど、何十冊単位でしか売れないちっちゃいとこだとキツいようです。
4.森 【2010-06-08 9:0】
 やはりAmazon獨占状態はよくないなあ……などと言っても、部屋滿杯の藏書のうち新刊の定價で買った本が本棚一段分程も無い古本者の言葉では空しい。

目次 http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0253060/top.html

石塚友二伝―俳人・作家・出版人の生涯

沖積舎2002-07-02 ¥3,780
購入: 2010-06-04 ¥600
讀了: 2010-06-08 文学・評論

[投稿日] 2010年6月4日

 起伏無く且つ論評を挾まぬため面白味は薄いが、淡々と細敍する姿勢を述ベテ作ラズと好もしく感ずる向きもあらう。趣味の違ひとしておく。但し誤植多し。問題は記述が何に據ったのかで、卷末に「参考資料」一覽あれど何をどこから引いたのやら文中に一切參照指示無く、文獻考證癖を滿たしてくれぬ。察するに、主たる材料は石塚友二自身の隨筆類で、一人稱を三人稱に書き直しながら時系列順に要約していったものかと思はせるが、當れりや。俳句に關心無きも出版人としての人脈は興味そそり、特に岩本和三郎ら書物展望社・文體社時代の同僚についてはもっと知りたいところ、いづれ別口から調べねばなるまい。
 二〇〇一年十二月刊初版の新裝版。

http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20140707/p2

中村幸彦著述集〈第2巻〉近世的表現 (1982年)

中央公論社1982-06 ¥7,020
購入: 2010-06-04 ¥3000
未読 古書

[投稿日] 2010年6月4日

 我が關心する圈外文學論を「第二章 俳言とその流れ」に含むも、『中村幸彦著述集 第十五卷』「総索引」の當該項には落とされ第十三卷(「近世圏外文学談」)が採られてゐる。網羅的に拾ひ過ぎた索引が選別に倦ませるからといって取捨が過ぎるのも困りもの。
 月報(第一號)は小西甚一と谷沢永一。小西「中世的表現」は時代區分論として中村へ異見を述べた批判になってゐるのだが、つねづね小西中村兩人を贔屓とする谷澤がいづれを是としたのか、ついぞ兩論を突き合せたものを見ない。 
Cf. http://d.hatena.ne.jp/okjm/20060403/p1