[投稿日] 2010年8月7日
二卷合せて一本とした「新装版」が繰り返し出てゐる(1979.7→1997.1→2000.6)。『歴史の必然性』(一九六六年二月)も異版と言へよう。
Cf. http://www.msz.co.jp/book/detail/04974.html
[投稿日] 2010年8月7日
二卷合せて一本とした「新装版」が繰り返し出てゐる(1979.7→1997.1→2000.6)。『歴史の必然性』(一九六六年二月)も異版と言へよう。
Cf. http://www.msz.co.jp/book/detail/04974.html
[投稿日] 2010年8月7日
やはり、「こころ」を云々したがるものは性に合はなかった。それよりも、「技」と結びついた「考へ方」を明らかにすることが大事だし面白いと思ふ。心構へや職業倫理を文學的比喩で語る本は他業種でもありふれてゐるが、どうも、知情意で言ったら知が足りなくないか。いつの日か『校正の思考』や『校正の思想』の讀める時が來ますやうに。
[投稿日] 2010年8月7日
この本を離れた一般論になるが、腹立日記が日記の藝のうちだと勘違ひしてゐるのは賢しらな人には多い、のかも。私憤に私憤を同調させ得る讀者には迎へられるにせよ、飮食店で店員に威丈高に怒鳴る客の横に置かれたやうな嫌な氣分も起こる。特に、本とあまり關はり無い不平不滿を聞かされると、さうだ。しかし本への批判なら怒りを丸出しにして良いのかといふと、やはりそこにも藝はあって貰ひたい。一體インテリの讀書家は陰鬱で神經質なものではあるが、小谷野敦らが時折見せるヒステリックなクレーマーぶりには似たくないものだ。
私生活はどうでもよいが、古本の蘊蓄を語ってゐるところは良い。
[投稿日] 2010年8月7日
[投稿日] 2010年8月7日
[投稿日] 2010年8月7日
[投稿日] 2010年8月6日
[投稿日] 2010年8月6日
[投稿日] 2010年8月6日
[投稿日] 2010年8月6日