[投稿日] 2011年2月22日
女中小説論もさることながら、小生の好みでは初讀の「第7章 見せ消ちの〈色〉と〈欲〉――「菰野」」がメタ・フィクション論に接近してゐるので面白く思ひました。しかし日記や改稿と較べれば面白く讀めても、「菰野」(乃至「日記帖」)一篇から讀み取れといふのはちょっと無理さうで、讀者に傳はらない出來とされても仕方無いのではないかとも思ひますが。
目次 http://www.shinwasha.com/019-7.html
[投稿日] 2011年2月22日
女中小説論もさることながら、小生の好みでは初讀の「第7章 見せ消ちの〈色〉と〈欲〉――「菰野」」がメタ・フィクション論に接近してゐるので面白く思ひました。しかし日記や改稿と較べれば面白く讀めても、「菰野」(乃至「日記帖」)一篇から讀み取れといふのはちょっと無理さうで、讀者に傳はらない出來とされても仕方無いのではないかとも思ひますが。
目次 http://www.shinwasha.com/019-7.html
[投稿日] 2011年2月13日
[投稿日] 2011年2月4日
掛け聲やキャッチ・フレーズを減らして中身のある讀解を増やしておくれ。
[投稿日] 2011年2月4日
晩年の書簡に出てくる宇波彰って、あの?
書簡 1955年~1960年/補遺/津田左右吉年譜/著作目録
[投稿日] 2011年2月4日
構造主義等の術語が頻繁に出てくるのは當然ながら、譯者獨自の譯語を當てて却って解りにくくしてゐる。この方面に親しんでゐる讀者ならば原語を想ひ浮べて對處できるが。引用は既譯があるかどうか調べて、それに從ふか、從へないまでも邦譯書を對照すべきだらう。森田孟、この譯者のものは以後信用すまじ。
譯文を離れて本文はといふと、整理にも解釋にも特に優れてゐるとは思へず凡庸、手元に置くほどではないか。