[投稿日] 2011年3月27日
安達大輔評 http://hdl.handle.net/2261/43080
博論要旨 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2008/609.html
[投稿日] 2011年3月27日
安達大輔評 http://hdl.handle.net/2261/43080
博論要旨 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2008/609.html
[投稿日] 2011年3月27日
あとで、マルク・ブロック『比較史の方法』と對照しながら再讀すること。特に地理學的比較と蓋然性の問題の二點。
[投稿日] 2011年3月27日
神話論的發想から語る松田修が馬鹿に見えてしまふ、大咄のやうで。橋川文三は呼ばれた意味が餘り無い。野口武彦が基調報告の「変革期の儒者・文人像」の章が、芳賀徹・富士川英郎とも噛み合ってゐるし、一番興味を惹く。前田愛の『幕末・維新期の文学』も再讀しよう。
[投稿日] 2011年3月27日
目次 http://plaza.taishukan.co.jp/shop/Product/Detail/20109
[投稿日] 2011年3月27日
函・本體含め中扉のみに「〈江戸期庶民文学と艶本〉」と副題、實際「物語文学と咄本」等の章あって春本以外も扱ふ。貼り奧附に「昭和五拾弐年拾月弐拾五日発行」とあるが初版「昭和四拾四年参月拾五日発行」が正しく、この僞裝に合せて「まえがき」末の「一九六九年三月」と記した行を削り消した痕跡を殘してゐる。その後も發行年月を詐稱した版があるか。改題新裝『江戸時代 好色文芸本事典』一九八八年刊。
http://www.geocities.co.jp/Bookend/6562/sex/nyumon.html
[投稿日] 2011年3月26日
身贔屓にならず學者としての難點を批評してある部分もあるのが、讀みどころ。
「このころ[敗戰後]はとっくに進歩はとまっていた。一体父の書いたもので、学界の先端を行っていたものはいつごろまでのものかというと、昭和六年の『ユーカラの研究』、昭和十三年の『新訂国語音韻論』あたりまでで」……(p.149)。生前にあった知里眞志保や小林英夫からの批判も見るべきだらう。
「思うに父の頭の中には、[……]絶対に疑ってはならない神聖な信条が幾つかあったようである。[……]/それらは、強い感情の裏付けをもっていたので、言葉に表すときには、激しい語調を伴った。感情が裏付けになっているだけに、冷静にすきをつかれて反論されると、たわいなかった。[……]福田恆存氏とやりあって衆目を集めた仮名遣い論争の時など、その例である」(p.29)。「父は、日ごろ自分の好きなものはイコールよいもので、自分の希望することはイコール正しいことだという哲学をもっていた。[……]/学問の上でもこの行き方が現れることがあって、敬語は美しい、と考えることから、敬語のあることは日本語の長所であると判断する類である。こういうことは文学研究には、かならずしも邪魔にならないとしても、言語学の研究には大分有害だったと思われる。父が言語学者として、とにかく一流の人になれたというのには、友人に、橋本進吉博士のような、純粋に客観的に物を見ることができる、理性的な学者がいて、その風に親炙したおかげだと思う」(p.69)。
[投稿日] 2011年3月26日
[投稿日] 2011年3月26日
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http://honto.jp/netstore/pd-worklist_0602769005.html
http://honto.jp/netstore/pd-worklist_0602779253.html
[投稿日] 2011年3月26日
[投稿日] 2011年3月26日
目次 http://www.nenshosha.co.jp/book/syuppanbunka/detail/hondana.html