[投稿日] 2011年7月20日
章學誠論としては當然なのかしれないが『文史通義』の解讀に專らで、『校讎通義』が殆ど出て來ず目録學にまるで觸れないのは期待と違った。最終章「章学誠のテクスト論」が哲學的な解釋學になってしまったのは(實際、卷末英文目次だと「テクスト論」に當る部分がHermeneuticsである)、その所爲もありはしないか。「思想家章学誠像と歴史家章学誠像とを止揚」(p.6)と言っても、これではあまりに哲學者であり過ぎる――史學者であるからには資料論があらうに。或いは、それは章實齋先生とて不足で讀者が補ふべきものなのだらうか。
從來の儒者像と「学者(scholar)」との別を説きて輕輩で政治參加の途無き章氏を後者と見るは宜なり。されど學問のための學問と化せる清朝考證學への批判者とせむには、いささか不整合ならずや。章學誠の言ふ「經世」や「義理」の語は宋學に藉りたるも換骨奪胎、既に道徳臭を脱せりと説くは卓見なるべし。されどなほ研究主體の「倫理」を求むるは如何はし。考據學を後ろ向きの知識、藏往の學と難じて、現在・未來志向の知來之學を唱へたりと云ふ。されど史學は前言往行を考論する後ろ向きの學問なるを如何せむ。最後の點、島田虔次の章學誠論「歴史的理性批判――「六経皆史」の説――」(『岩波講座哲学 4 歴史の哲学』一九六九年)にても解説不足なりき。理性の歴史的な批判ではなく、歴史主義の思考である「歴史的理性」の批判=吟味であってこそ「考証学を越ゆべきことの哲学、同時に考証学の哲学」と呼べよう。
同著者による論文「近代の予兆と挫折――清代中期一知識人の思想と行動――」「立身出世の階梯を諦めた人々――章学誠の”紹興師爺”像を中心に――」も併せ讀む。
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/2006/data/0502shanghai.htm
→ http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/archives/2276
http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il4/meta_pub/G0000007repository_111E0000014-9-6
博士論文目次 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002003426-00#