日華大辞典〈第1-3巻〉

東洋文化未刊図書刊行会1936 ¥0
購入: 2011-08-11 ¥300
読中 古書

[投稿日] 2011年8月11日

 三十萬餘の語彙數を誇り口語俗語をも多く含むことは、當時の國語辭典にも求めて得られぬ特色だらう。和語をどう漢語に變換するかといふ面から見れば俗→雅辭典の機能も幾らか持つわけである。題扉にNipponese-Chineseと列んで Nippon-Manchukuoとも記され、北支・滿洲での利用を想定したもののやうだ。「原型版」とあるので、大陸で發行された版があらう。
 作例が時代色を表はしてゐて、今見ると可笑しい。當然ながら日本帝國主義も露骨だが、戰後臺灣で複刻した際には差し替へたのだらうか。それにしても語義説明の文まで「てゐる」が「てる」と俗語調なのはどうしたことか。
 東洋文化未刊圖書刊行會といふ版元も變な名稱でこれ以外出版した形跡が無いのだが、東京朝日新聞一九三九年四月九日附廣告によると會長は芳澤謙吉。

新たな図書館・図書館史研究―批判的図書館史研究を中心にして

京都図書館情報学研究会2011-08 ¥8,640
ウィッシュ

[投稿日] 2011年8月8日

第5章 川崎良孝「ウェイン・A.ウィーガンドと図書館史研究―第4世代の牽引者―」
初出: http://hdl.handle.net/2433/139417
第6章 吉田右子・川崎良孝「クリスティン・ポーリーと図書館史研究:プリント・カルチャー史の研究」
初出: http://ci.nii.ac.jp/naid/110008593806

Cf. 川崎「最近の図書館研究の状況 : 批判的図書館(史)研究を中心として」
 http://hdl.handle.net/2433/71628

http://toshokanshi-w.blogspot.jp/2011/08/blog-post.html

中国史学史の研究 (東洋史研究叢刊)

京都大学学術出版会2006-03 ¥9,180
讀了: 2011-08-02 歴史・地理

[投稿日] 2011年8月2日

 八百ページを超す大著。第六部「章学誠と『文史通義』」だけで五章百十ページを費やすが、鋭さが無いので詰まらない。學術書は面白味無くても眞面目に研究してればいいと言ふのなら仕方も無いが、知識滿載なのでもない。代表作と代表的人物だけ取り上げて專門論文にしたのを列ねて著書にするやり方は、雜學多識な内藤湖南『支那史學史』と對照的だ。
 見どころとしては、前著『中国の歴史思想――紀伝体考』から引き繼いで『史記』を論じた第二部第一章・第二章か。司馬談・遷父子の秦人たりしことを強調、そこから暴秦論への對抗の意を讀み解くのが創見らしい。
 あと、山口久和著もさうだったが、漢文を訓み下し體で引用するのは結構ながら、專門家には當り前の訓み方もあるにせよ、強引に訓み下してあるやうな難訓字にルビを振らずにをるのは、何か、さういふ流儀なのかいな。

目次 http://honto.jp/netstore/pd-contents_0602655979.html

梁啓超とジャーナリズム

芙蓉書房出版2009-05 ¥6,156
讀了: 2011-08-03 社会・政治

[投稿日] 2011年8月2日

 組版がお粗末なのは版元の所爲にしても、文章のテニヲハがひどい。序文を寄せた師の田村紀雄はじめ有山輝雄香内三郎その他東京經濟大學の先生方は誰も親身に日本語作文指導をしてあげなかったのか? 全部讀み通す氣を無くした。
 事實は澤山調べてゐるやうなのだが、考論は新見に乏しい。一番の目當てである「【補遺二】梁啓超の目録学思想について――分類における虚実関係の変遷に関する考察」を見ても、『西學書目表』における學・政・教の三類についての分析(p.314)は、井波陵一「六部から四部へ――分類法の変化が意味するもの」(冨谷至編『漢字の中国文化』昭和堂、2009.4)が同書を論じたのに比して見劣りがし、理解の淺さを思はせる。
 大體ジャーナリズムと言ふが、これでは木鐸記者の政論ジャーナリズムでありすぎる。天下國家を大言壯語するジャーナリズムでさへ、根は場當りで時好に投ずるいい加減なものなので、梁を「融通の利く性質が彼の長所であるが弱点でもある」(p.108)と評するならば、さういふジャーナリストの性格として解すべきではなかったか。

目次 http://www.fuyoshobo.co.jp/book/b101002.html