梁啓超とジャーナリズム

芙蓉書房出版2009-05 ¥6,156
讀了: 2011-08-03 社会・政治

[投稿日] 2011年8月2日

 組版がお粗末なのは版元の所爲にしても、文章のテニヲハがひどい。序文を寄せた師の田村紀雄はじめ有山輝雄香内三郎その他東京經濟大學の先生方は誰も親身に日本語作文指導をしてあげなかったのか? 全部讀み通す氣を無くした。
 事實は澤山調べてゐるやうなのだが、考論は新見に乏しい。一番の目當てである「【補遺二】梁啓超の目録学思想について――分類における虚実関係の変遷に関する考察」を見ても、『西學書目表』における學・政・教の三類についての分析(p.314)は、井波陵一「六部から四部へ――分類法の変化が意味するもの」(冨谷至編『漢字の中国文化』昭和堂、2009.4)が同書を論じたのに比して見劣りがし、理解の淺さを思はせる。
 大體ジャーナリズムと言ふが、これでは木鐸記者の政論ジャーナリズムでありすぎる。天下國家を大言壯語するジャーナリズムでさへ、根は場當りで時好に投ずるいい加減なものなので、梁を「融通の利く性質が彼の長所であるが弱点でもある」(p.108)と評するならば、さういふジャーナリストの性格として解すべきではなかったか。

目次 http://www.fuyoshobo.co.jp/book/b101002.html

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