[投稿日] 2011年7月27日
おほむね版本學に屬し、目録學と言へるのは「四部分類の成立」のみ。「編目談余」は目録編纂に版本學の知識が要ることを説くものだし、「『千頃堂書目』と『明史芸文志』稿」も對象は目録書だが研究法は版本學、或いは鈔本(寫本)だから校勘學か。「内藤湖南蔵本『文史校讎通義』記略」も成立過程を探った本文批判。
目次 http://d.hatena.ne.jp/ginzburg/20061112/1163323547
[投稿日] 2011年7月27日
おほむね版本學に屬し、目録學と言へるのは「四部分類の成立」のみ。「編目談余」は目録編纂に版本學の知識が要ることを説くものだし、「『千頃堂書目』と『明史芸文志』稿」も對象は目録書だが研究法は版本學、或いは鈔本(寫本)だから校勘學か。「内藤湖南蔵本『文史校讎通義』記略」も成立過程を探った本文批判。
目次 http://d.hatena.ne.jp/ginzburg/20061112/1163323547
[投稿日] 2011年7月20日
木野主計著。圖書館學が支那目録學をどの程度參照してゐるかと思ったら……ほんの觸りだけか、やはり。一往、司書資格科目の講義で長年教へられてゐたことは判ったが、副題「和漢古資料組織法」のうち漢籍については他の人の擔當だったのを了承を得て攝取した由にて、嚴密には木野の著述でない。結局、目録學は漢籍取扱ひ法としてしか受容されてなく、近代日本に應用する見方は出てないのか。
目次 http://www.jusonbo.co.jp/kikan_shosai/01/kikan_shosai_01_26.html
[投稿日] 2011年7月20日
「一つの手がかりとして、中国の古書を論じる際にしばしば用いられる「形制」という概念を導入し、これを余嘉錫のいう「体例」に対置してみたい。両者はともに書物の内容よりも形式に着眼するものだが、前者が材料、形状、行格、書写方法等、主として技術的な側面を指すのに対し、後者が書名や撰者名、書物の構成や著述の習慣等、より実質的な側面を指すという違いがある。」(内山直樹「解説」p.355)
本書で古書とは前漢以前に竹簡や絹帛の卷子で傳へられた先秦諸子の古典なので餘りに縁遠く、對象そのものの興味は薄い。中文中國史專門でないと讀んでも仕方無いかも。ただ、書名・著者名・編次その他のあり方即ち「体例」から考證してゆくといふ方法は面白く、幾分かジェラール・ジュネット『スイユ』に通じ、フーコー「作者とは何か」からロジェ・シャルチエ『書物の秩序』が引き取った議論を想はせないでもない。ここに論じられた支那古代の書物と對照することで、蔡倫紙以降の我々の「書物」の既成概念を歴史的に相對化し改めて問ひ直す契機は得られよう。でも、支那人は古を求めるに專らだし、邦人の支那學徒も專門研究に沒頭して一般讀書人に訴へる所無く(『古書通例』の譯者ら然り)、日本や近代の書誌學と繋げるさういふことまでやってくれないんだよなあ……。
[投稿日] 2011年7月20日
章學誠論としては當然なのかしれないが『文史通義』の解讀に專らで、『校讎通義』が殆ど出て來ず目録學にまるで觸れないのは期待と違った。最終章「章学誠のテクスト論」が哲學的な解釋學になってしまったのは(實際、卷末英文目次だと「テクスト論」に當る部分がHermeneuticsである)、その所爲もありはしないか。「思想家章学誠像と歴史家章学誠像とを止揚」(p.6)と言っても、これではあまりに哲學者であり過ぎる――史學者であるからには資料論があらうに。或いは、それは章實齋先生とて不足で讀者が補ふべきものなのだらうか。
從來の儒者像と「学者(scholar)」との別を説きて輕輩で政治參加の途無き章氏を後者と見るは宜なり。されど學問のための學問と化せる清朝考證學への批判者とせむには、いささか不整合ならずや。章學誠の言ふ「經世」や「義理」の語は宋學に藉りたるも換骨奪胎、既に道徳臭を脱せりと説くは卓見なるべし。されどなほ研究主體の「倫理」を求むるは如何はし。考據學を後ろ向きの知識、藏往の學と難じて、現在・未來志向の知來之學を唱へたりと云ふ。されど史學は前言往行を考論する後ろ向きの學問なるを如何せむ。最後の點、島田虔次の章學誠論「歴史的理性批判――「六経皆史」の説――」(『岩波講座哲学 4 歴史の哲学』一九六九年)にても解説不足なりき。理性の歴史的な批判ではなく、歴史主義の思考である「歴史的理性」の批判=吟味であってこそ「考証学を越ゆべきことの哲学、同時に考証学の哲学」と呼べよう。
同著者による論文「近代の予兆と挫折――清代中期一知識人の思想と行動――」「立身出世の階梯を諦めた人々――章学誠の”紹興師爺”像を中心に――」も併せ讀む。
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/2006/data/0502shanghai.htm
→ http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/archives/2276
http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il4/meta_pub/G0000007repository_111E0000014-9-6
博士論文目次 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002003426-00#
[投稿日] 2011年7月8日
佐村八郎『國書解題』を難ずる文は本卷『目睹書譚』中「野籟居讀書記」二(pp.69-71.)にて、谷澤永一も再三引く所なれど、これ即ち、湖南は鄭樵「校讎略」における解題法の論(『支那目録學』pp.416-417,「支那の書目に就いて」p.457)を應用せるものなりと覺えたり。『支那目録學』は冒頭に「かの佐村氏の「國書解題」などでも[……]解題の意味をなさぬ」云々と見え、また『支那史學史』「九 宋代に於ける史學の發展」中「七 鄭樵の通志」にも崇文總目の解題の冗を批判せる條を引きつつ「これなどは近頃出来る解題の中にもあてはまるものがあるであらう」(東洋文庫版p.316)と述ぶるは『國書解題』が念頭にありたるものの如し。
[投稿日] 2011年7月8日
全體の三分の一を占める清代の記述が壓卷(『清朝史通論』の「経學」「史學及び文學」の章と併讀すべし)。新しい時代から遡って讀んでいった方が面白いかも。章學誠論が未成に終ったのは惜しい。
索引の間違ひと不足が少し氣になった。
[投稿日] 2011年7月8日
湖南全著作中第一に指を屈すべき名著――但し、學問方法論への志向を讀み取らねば眞價が味はへまい。鄭樵その他目録學に關する敍述もかなり含み、湖南全集第十二卷「支那目録學」と竝べて補ふべきもの。吉川忠夫「解説」も良い。
瑕釁はある。唐代の杜佑『通典』について、内藤湖南全集の「通典の著者杜佑」(第六卷、初出一九二九年)「昭和六年一月廿六日御講書始漢書進講案」(第七卷)での高評價に比べると記述が薄くて目立たないのは、不審。しかも朱子が杜佑を「古を是とし今を非とするの書である」と評したとある(p.317)のは、講義ノートに據った遺著にしてもひどい謬記で、原文は「非古是今之書」(朱子語類卷第一百三十六歴代三)と正反對。それでなくては支那には珍しい杜佑の進歩主義を評價した意味が無くなってしまふ。さらに、杜佑が民俗學的考察法の先驅である點について他では強調してゐたのにこの『支那史學史』中に全く觸れてないのも訝しいことで、湖南もまだ大正年間の講義中にはそれに氣づいてなかったとか?
[投稿日] 2011年6月26日
四部分類を成立せしめた「史部」が、ポイントになってゐる。川勝義雄『中国人の歴史意識』と併讀すること。著者は觸れてないが、「六經皆史」と斷じた章學誠の『文史通義』につなげられるだらう。つまり、本書と同樣にして新たな支那史學史が書かれることが望ましいが、なぜか目録學關係の著作者は文學研究者ばかりみたいで期待できない。
井波陵一「六部から四部へ――分類法の変化が意味するもの」(冨谷至編『漢字の中国文化』昭和堂、2009.4)に竝んで補ふ所あり。
井波陵一編『漢籍目録を読む』(〈東方學資料叢刊〉京都大學人文科學研究所附屬漢字情報研究センター、2004.3)は、内題では副題に「――実習(カード作成・データ入力)のために」とある通り、圖書館司書向け講習用の教本册子に留まり、讀むに及ばない。
[投稿日] 2011年6月26日
元が世界文學全集月報に連載されたものゆゑ、あっさり目でチト物足らぬ。
附論中「紙の発明と後漢の学風」が帛書から紙への移り變りと學藝の進展との關係を推考してをり、メディア論としてやや興あり。
目次 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480836052/
[投稿日] 2011年6月23日
「中国文献学大綱」「支那文献学大綱」が目當て。文獻學と言ふが、謂はゆる目録學だ。とはいへ分類するにも漢籍が讀めなくてはならぬとの考へから幾分か内容紹介を兼ねて支那學術史概論ともなってをり、吉川の中國思想・文學への見方は窺はれる。
東方文化研究所分類目録に基づく講義のうち、史部第十四書目類「四 書景之属」に、楊守敬が滯日中に作った「留眞譜」が書景の初めとある(p.80、p.133)。「書影」は存外古くからある眞っ當な漢語らしいと判る。
「そもそも支那人の著述は、後進者を導かんとするよりも、すなわち自分より劣った者に言葉を与えんとするよりも、むしろ自分よりすぐれた者に、みずからの到達しえた業績の批判を仰がんとするのが普通で、支那の学問、広くは文化が難解な性質を持つのは、ここに原因があると考える」(子部第二儒家類「四 家訓勧学郷約之属」p.142)。げに、切に乞ひたきは批正なり。
士と庶との別を説いた箇所が目に着く(「支那精神史序説」p.234、pp.260-261。「中国の社会制度」pp.338-339。「明代の精神」pp.358-359。「歴史的に見た現代中国文化とその将来」p.441-443)。「礼ハ庶人ニ下ラズ」と言ふが、士人ならぬ民間一布衣としては無禮で結構だ。なるほど、士大夫たる自負を有する吉川に水滸傳など庶民文藝を譯すのはチト無理なわけだ。但し、「わざと科挙を受験せず、処士として終始するものをも、生んだ」(「清という王朝」p.398)といふ邊りに考慮の餘地あらう。
「[……]この民族に於ては、言語は或いは実体以上にも重視されるのであり、その結果、言語科学は、この民族の科学活動の精華たる形を呈する。しかしその業績は、ほとんどみな注釈語学であって、具体的な作品の注釈である。「経」を始め古典に加えられた注釈は、まことに汗牛充棟も啻ならぬ。ところで、かく注釈の業が甚だ盛んであるに拘らず、辞典の業には比較的乏しい。単語の意味というものは、それぞれに中心となる方向をもちつつ、しかも実際の作品の中に現れる場合には、みなそれぞれに微妙な差違を示す。前者は言語の意味の統一する方向であって、その方向を追求するのが辞典であり、後者は言語の意味の統一せざる方向であって、その方向を追跡するものが注釈である。注釈に富んで、しかも辞典に乏しいということは、やはりこの民族の精神が、事物の統一せざる方向に敏感であり、その統一する方向にはむしろ冷淡であることを示す。」(「支那精神史序説」p.250)――譯註・語註等に辭書・事典から引き寫して事足れりとする輩は、註釋と辭典との違ひを辨へない愚物であるわけだ。個別に即くか一般に抽象するか。「すなわちこれらの注釈家は、劉宝楠はもとより、徂徠にしても、すでに何がしか字引を引いて、あるいは字引を引くのと同じような行為をして、つまりその単語が他に使われている場合を考えあわせて、その平均値を帰納するという行為をしてくれているわけです。[……]もっとも字引というものは、おのおのの単語の平均値的な水っぽい意味をしか記さないもので、必ずしも役に立つとは思いませんし、[……]少なくとも注釈を漁るほどには役に立たないと思いますが[……]」(「古典の読み方」pp.479-480)。
目次 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480746412/