[投稿日] 2011年8月11日
三十萬餘の語彙數を誇り口語俗語をも多く含むことは、當時の國語辭典にも求めて得られぬ特色だらう。和語をどう漢語に變換するかといふ面から見れば俗→雅辭典の機能も幾らか持つわけである。題扉にNipponese-Chineseと列んで Nippon-Manchukuoとも記され、北支・滿洲での利用を想定したもののやうだ。「原型版」とあるので、大陸で發行された版があらう。
作例が時代色を表はしてゐて、今見ると可笑しい。當然ながら日本帝國主義も露骨だが、戰後臺灣で複刻した際には差し替へたのだらうか。それにしても語義説明の文まで「てゐる」が「てる」と俗語調なのはどうしたことか。
東洋文化未刊圖書刊行會といふ版元も變な名稱でこれ以外出版した形跡が無いのだが、東京朝日新聞一九三九年四月九日附廣告によると會長は芳澤謙吉。