[投稿日] 2011年1月14日
タグ: 批評・評論(82件)
私は思ふ (1950年) (創元選書〈第201〉)
[投稿日] 2010年12月30日
テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ
[投稿日] 2010年12月19日
表象の奈落―フィクションと思考の動体視力
[投稿日] 2010年11月1日
收録文中、總じて新しい年代のは今一つ。古いのは初出で讀んでゐたものも少なくない。差し引き收穫と思へたのは新出の「エンマ・ボヴァリーとリチャード・ニクソン」となるが、これは既讀の『「赤」の誘惑』の變奏曲(いや前奏か)。
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戦後批評のメタヒストリー 近代を記憶する場
[投稿日] 2010年10月21日
書名に言ふ「批評」がほぼ文藝批評でしかない。『季刊批評』→『批評空間』の近代批評史が文學以外に擴げたのが生かされてない。難癖をつけるやうだが、社會派の態度を示す割に文學に囚はれてゐるのは料簡が狹くないか。文藝批評と言っても同時代文學評でなく過去の作家作品を論じたものが主對象だから、畢竟これは文學史論だらう。それはそれで結構だが、但し學術的な文學史研究は除外されてゐる――さうすれば學界批判には手を出さずに濟むし? いや、所詮は近代文學研究なぞ文藝批評の影響下から自立できぬ似而非學問といふことか。そこに屬する著者自身の立場は如何に。
メタヒストリーと言ふだけあって、ところどころで成程と思ふ概觀はある。例へば、中村光夫(ら)が白樺派をうまく扱へなかった理由とか。いささか疑問だが、江藤淳パラダイムがそんなにも鞏固だったのか(少なくとも著者の世代にとっては)、とか。この著者の本では一番性に合ふ方かもしれぬ。
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露伴全集〈第26巻〉評論 (1979年)
[投稿日] 2010年9月4日
露伴全集〈第27巻〉評論 (1979年)
[投稿日] 2010年9月4日
露伴全集〈第28巻〉評論 (1979年)
[投稿日] 2010年9月4日
露伴全集〈第29巻〉随筆 (1979年)
[投稿日] 2010年9月4日
露伴全集〈第30巻〉随筆 (1979年)
[投稿日] 2010年9月4日