國語問題と國語教育

中等学校教科書1949-11-15 ¥180
購入: 2015-09-27 ¥100
未読 日本語・国語学

[投稿日] 2015年9月27日

 國會圖書館所藏無し。
 http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN08631088
 中教出版と改稱した同じ版元より増訂版(一九六一年十月)あれど、「六」~「一一」は削除され、代りに「五 スターリン 「言語學におけるマルクス主義」に關して」「八 「かなづかひ」の原理」「九 利用者の立場から見た「送りがなのつけ方」同追記」「十 漢字政策上の諸問題」「十四 國語政策のための基礎的研究について」「十五 國語國字政策論の盲點」六篇を加へたものなので、章數は増減無く、差し替へ分はこの舊版にのみ見るを得。うち六~一〇「國語科學習指導要領試案」は後に石井庄司編『時枝誠記国語教育論集 I』(〈国語教育名著選集〉明治書院、一九八四)にも再録。
 http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN09750876
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2495371?tocOpened=1
 http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/TOKIEDA/K_K_Chukyo.html

月刊ことば 新しい知と生活のために 1979年1月号

英潮社1979-01-01 ¥380
購入: 2015-09-13 ¥150
未読 言語学

[投稿日] 2015年9月13日

目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2223368?tocOpened=1
林四郎「修辞学と文章論」
高岡重蔵(嘉瑞工房主)「名刺と印刷」
春遍雀来(ハルペン ジャック)「日本語に論理はあるか」
など。

 目次は配色に失敗して判讀しづらい行がある。「editorial design=戸田ツトム+松田行正」。
 外山滋比古編輯の雜誌は、先立つ『英語文学世界』からさうだったが、特輯や目次立ては氣を惹くのに中身が薄いことが多い。本人の著作が着眼は良くても輕いエッセイ調で知識・思考が深まらないのと同斷か。

月刊ことば 新しい知と生活のために 1978年3月号

英潮社1978-03-01 ¥380
購入: 2015-09-13 ¥150
未読 語学・辞事典・年鑑

[投稿日] 2015年9月13日

特集❶ 辞書
特集❷ 電話
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2223358?tocOpened=1

 語學者の教授二人より「三省堂出版部勤務」である鵜沢伸雄の「辞書編修者のことば」が印刷技術、なかんづく清刷について特筆してゐるのが目に止まった。
「editorial design=戸田ツトム+松田行正」。

月刊ことば 新しい知と生活のために 1978年2月号

英潮社1978-02-01 ¥380
購入: 2015-09-13 ¥150
未読 言語学

[投稿日] 2015年9月13日

 編輯長は外山滋比古、「editorial design=戸田ツトム」。
 「[特別企画]特集 文章読本」、谷崎潤一郎・川端康成・三島由紀夫・丸谷才一の文章讀本が俎上に載せられてゐる。
 目次に無いが「訂正とおわび」(p.62)で前號三點の誤りを報ず。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2223357?tocOpened=1

宝島 1979年4月号「ほとんど総ての人のための カール・マルクス入門」

JICC出版局1979-04-01 ¥480
購入: 2015-08-04 ¥309
未読 語学・辞事典・年鑑

[投稿日] 2015年8月4日

 目次で「特集」と銘打たれた別冊宝島風マルクス解説より、第二特輯とも言ふべき「宝島明解 国語・英和辞書操縦法」(pp.135-166)が目當て。表紙では「辞書繰縦法 選び方と使い方」と記し「繰」に誤植する。

国文鶴見 第三十一号 岩佐美代子教授 古田東朔教授 退職記念号

鶴見大学日本文学会1996-12-31 ¥
購入: 2015-07-25 ¥100
未読 言語学

[投稿日] 2015年7月25日

 「古田東朔教授略歴・業績目録」が目當て。工藤信彦(成城學園)舊藏雜誌と共に列んであり。

目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6060182?tocOpened=1

メルロ=ポンティと言語

世界書院1988-10-31 ¥2,600
購入: 2002-06-01 ¥300
讀了: 2015-07-03 哲学・思想

[投稿日] 2015年7月3日

Phaenomenologica 25
 メルロ=ポンティに見られる讀解法を評して曰く、「フィンク流に言うならば、相手の論拠で用いられている「操作概念」を、求心的な読解を介し「主題概念」へともちきたらす」(「序 メルロ=ポンティ〈の〉読解 レクチュールとエクリチュールのはざま」p.14)――出典註を附さぬが、オイゲン・フィンク「フッサールの現象学における操作的概念」(新田義弘譯、新田義弘・小川侃編『現象学の根本問題』〈現代哲学の根本問題8〉晃洋書房、一九七八年十一月)に據る。これを自身に施せば、「思想家にとって本質的なことは、彼が自分自身でずっと以前から適用していた当の方法を顕在化し主題化することでしかない」(p.50)。同じ傳で主題化されたのが、言語であるといふわけ。「第一部 語る語られた言語」では『行動の構造』『知覚の現象学』等のメルロ=ポンティの論が、行動主義心理學やゲシュタルト心理學が記述や説明に用ゐる言語への批判としてあったことを示す。「第二部 語られた語る言語」にて、ソシュール著と出會った中期以降におけるメルロ=ポンティにとっての主題概念となってからの言語論を讀み解いてゐる。フッサール(フッセルと表記)への參照が多いのは當然として(Phaenomenologicaといふシリーズだし)、ベルクソンが引合ひにされるのが目立つ。