[投稿日] 2015年6月20日
http://www.fsjnet.jp/periodical/periodical_data/backnumber_261-280.html
[投稿日] 2015年6月20日
http://www.fsjnet.jp/periodical/periodical_data/backnumber_261-280.html
[投稿日] 2015年5月9日
年二回刊。挾み込み二點、『同胞各位に訴へる(その七)』(一九八三年十月)『仝(その八)』(一九八四年十月)。舊藏印「藤田豊藏書」。
特輯が四部より成るうち「批判」「研究」「實踐」は無用なるも「文獻」が保守派國語國字問題論のブック・ガイドとして有意義。
[投稿日] 2015年5月8日
「特集◉漢和辞典の歩み」、やはり近代が手薄。松井利彦「明治維新と漢語辞書」は未だ現行の「漢和」の體例が成らざる明治初期の前史、江連隆「『康熙字典』と日本の漢和辞典」は「漢和」でなく「漢語辞書」の節に重野安繹ほか監修『漢和大字典』(一九〇三年。江連は「大辞典」と誤記)・榮田猛猪編『大字典』(一九一七年)の二種を擧げるに留まり、望月真澄「漢和辞典の新展開」も明治・大正期は各節觸れる程度のみ。やや小史に代へられる記述に白川静「字通の編集について」(『字書を作る』所收)中「二 従来の字書の編集法について」があり、また阿辻哲次「漢和辞典の歴史」(辞典協会編『日本の辞書の歩み』)中「13 明治・大正の漢和辞典」が白川の言及しない『大字典』に紙幅を割いてゐたが、どうにも國語辭書に比べて近代漢和辭典史は餘りに略述でしかない。批判書も、國語辭典が幾つもあるのに漢和は小原三次編著『本邦六大、中堅『漢和字典』をこきおろす』(モノグラム社、一九七二年十二月、非賣品)切り。山田忠雄『漢和辞典の成立』(一九五八年)でも「成立」後の「明治36年→昭和19年」は卷末で簡短に濟ませたやうで、のち同述『近代國語辭書の歩み その模倣と創意と 上』第一部第二章「漢和辞典の成立と其の超克」(一九八一年七月)に至ってやうやく「厚い記述」が得られる。しかしなぜかこの章が參照された漢和の辭書史を見掛けない。『日本語学』二〇一二年十月號「特集 漢和辞典の新展開」はどうなのだらう。
特輯記事の外、入谷義高「幻の「支那文学史」」が目を惹く。青木正兒による豫定項目中、斯波六郎擔當の「散文史」「評論史(文)」が成らなかったのは惜しい。
連載「東洋学の系譜」は矢島文夫「37 前嶋信次」。
高島俊男「湖辺漫筆24 温公殺すに刃物は要らぬ」は、支那學用語における長篇ならぬ「長編」の意味を説いたもの、のち『ほめそやしたりクサしたり』(大和書房、一九九八年七月)所收。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4425952?tocOpened=1
[投稿日] 2015年4月25日
「特集 『日本語学』の20年」、表紙と背には「創刊20周年記念号」と冠す。卷末「『日本語学』特集一覧」は刊年順、二〇〇二年七月臨時増刊號「創刊20周年記念 『日本語学』総目録」での「特集目録」は五十音順。
目次 http://www.meijishoin.co.jp/book/b98242.html
[投稿日] 2013年6月8日
正誤表一枚(二箇所のみ)を添附。
[投稿日] 2012年6月7日
[投稿日] 2011年10月7日
[投稿日] 2011年10月3日
副題が「ウィトゲンシュタインはソシュールを読んだ!」とな……ううむ。覗いたら、ちと思ひこみっぽい行論。
http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3069&syosekino=5036
http://reach.acc.senshu-u.ac.jp/Nornir/search.do?type=list01&uid=1204151
[投稿日] 2011年9月10日
初版は一九三九年、昭和十五年八月第二版を購入。類本の無い現代語における雅俗辭典として、柳田國男『老讀書歴』所收の書評を讀んで以來ずっと探してゐたもの。それを含めた第一版への批評に對する反駁が、この第二版卷頭の「Nidomeno Suriを出すについて」に述べられてゐるのがまた愉しい。いづれ一九五一年版も安く見つかりますやうに。
[投稿日] 2011年9月4日
須原屋書店明治三十九年十月再版→明治四十年十一月七版を入手。
伊藤善韶(東所)序が寶暦十三(一七六三)年、刊本が出たのはやっと明治十二年(~十八年)だが、五十音順排列は稿本通りだったのだらうか。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902815/418