[投稿日] 2010-07-10
新裝版がMinerva21世紀ライブラリー 30として一九九六年七月刊。
http://www.minervashobo.co.jp/book/b47345.html
[投稿日] 2010-07-10
新裝版がMinerva21世紀ライブラリー 30として一九九六年七月刊。
http://www.minervashobo.co.jp/book/b47345.html
[投稿日] 2009-11-25
[投稿日] 2009-11-25
[投稿日] 2009-11-25
目次 http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-010104-2.html
[投稿日] 2016-04-30
CiNii・國會圖書館所藏無し。著者地元の中野區立中央圖書館には『岩波新書の歩み 戦時の旧赤版から戦後の青版へ』と共に架藏。
岩波書店退職二十年後の文集で、全て再録。「最も心残りなのは、雑誌『思想』を出発点に、その後の長い編集経験の中で、京洛の研究者諸氏との交流が大きな比重を占めているにも拘らず、殆んどその記録がないことである。せめて桑原武夫氏を長とした京都大学人文科学研究所の諸氏について“覚え書”なりと記しておきたいとペンを執ったのだが、身心の今の状態から断念するほかなかった」(「あとがき」p.156)。
https://www3.city.tokyo-nakano.lg.jp/tosho/asp/WwShousaiKen.aspx?FCode=1891175
[投稿日] 2010-06-04
我が關心する圈外文學論を「第二章 俳言とその流れ」に含むも、『中村幸彦著述集 第十五卷』「総索引」の當該項には落とされ第十三卷(「近世圏外文学談」)が採られてゐる。網羅的に拾ひ過ぎた索引が選別に倦ませるからといって取捨が過ぎるのも困りもの。
月報(第一號)は小西甚一と谷沢永一。小西「中世的表現」は時代區分論として中村へ異見を述べた批判になってゐるのだが、つねづね小西中村兩人を贔屓とする谷澤がいづれを是としたのか、ついぞ兩論を突き合せたものを見ない。
Cf. http://d.hatena.ne.jp/okjm/20060403/p1
[投稿日] 2010-12-20
「世語」と題する通り言葉の考證だが、食生活に關する語彙が多いので實は食物蘊蓄隨筆としても愉しめる。しかし文學史論にとって一番要り用なのは隨筆その他を論じた「圏外文学」の部だ。
目次
http://d.hatena.ne.jp/okjm/20060331/p1
http://snob.s1.xrea.com/t/20060820.html
[投稿日] 2009-10-29
[投稿日] 2010-09-11
著者の見方からすればもっと嚴しくマイネッケを批判できるはずなのに、何だか遠慮してゐるみたいな。そもそも、歴史研究を國家の現代政治に關はらせなければならぬといふ當爲がどうしてそんなにも強迫觀念であったのやら、そこからして大いに疑問とならうに。これでは概念史とはまるで政治倫理・政治道徳史であるかのやうだ。
[投稿日] 2016-05-28
角書「隨筆」は函・本體とも背文字には無く、奧附にも無く、標題紙と函表(横書き)とにあり。
著者はのち電通役員で『日本新聞廣告史』(日本電報通信社、一九四〇年十一月)編者。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1230420?tocOpened=1
[投稿日] 2011-03-27
函・本體含め中扉のみに「〈江戸期庶民文学と艶本〉」と副題、實際「物語文学と咄本」等の章あって春本以外も扱ふ。貼り奧附に「昭和五拾弐年拾月弐拾五日発行」とあるが初版「昭和四拾四年参月拾五日発行」が正しく、この僞裝に合せて「まえがき」末の「一九六九年三月」と記した行を削り消した痕跡を殘してゐる。その後も發行年月を詐稱した版があるか。改題新裝『江戸時代 好色文芸本事典』一九八八年刊。
http://www.geocities.co.jp/Bookend/6562/sex/nyumon.html
[投稿日] 2010-09-01
[投稿日] 2010-07-24
想像してごらん、靖國問題なんて無いって。
想ってごらん、戰爭も平和も慰靈も顯彰も知ったこっちゃないって。
夢見勝ちだと言はれるかもしれない、でも僕だけぢゃないさ。
[投稿日] 2011-12-18
出版社の社史への批評。
[投稿日] 2009-10-29
いまさら作家別單位の文學全集など構想しても始まるまいに、いい氣なものだ。
[投稿日] 2011-01-08
[投稿日] 2009-11-13
[投稿日] 2011-03-27
安達大輔評 http://hdl.handle.net/2261/43080
博論要旨 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2008/609.html
[投稿日] 2009-10-29
從來の研究が「人物批評」や「作品批判」に留まってゐたので「実態」の解明を行ふと。その言や善し、手堅い歴史學的研究として評價せねばなるまい。が、讀んで面白いものではない。對象が面白くなければ仕方無い? しかし、實態とは、社會活動や政治的影響のことばかりでいいのだらうか。柳北の書くものも文飾を取っ拂って内容だけ忠實に拾ひ上げたら存外常識的で詰まらないが、それでは彼一流の奇文を讀んだことにはなるまい。同樣に、屈折拔きに平板化した敍述で事實を綴らうとした執筆姿勢に問題があるとしたら? 眞面目な研究者に求める方が無理にせよ。
[投稿日] 2011-01-09