昭和文学年表〈第9巻〉索引・人名篇

明治書院 / 1996-12刊 / ¥5,767
購入: 2011-10-01  /¥700
読中 文学・評論

[投稿日] 2011-10-01

 定價半額以下の端本拾ひで時間掛かったが、やっとこれで要り用な卷が全部揃った。これだから貧書生の學問は進捗が遲い。

口語辞典―Hanasikotoba o hiku Zibiki (1940年)

口語辞典出版会 / 1940刊 / - /
購入: 2011-09-10  /¥200
読中 古書

[投稿日] 2011-09-10

 初版は一九三九年、昭和十五年八月第二版を購入。類本の無い現代語における雅俗辭典として、柳田國男『老讀書歴』所收の書評を讀んで以來ずっと探してゐたもの。それを含めた第一版への批評に對する反駁が、この第二版卷頭の「Nidomeno Suriを出すについて」に述べられてゐるのがまた愉しい。いづれ一九五一年版も安く見つかりますやうに。

操觚字訣―同訓異義辞典 (1980年)

名著普及会 / 1980-05刊 / - /
購入: 2011-09-04  /¥0
読中 古書

[投稿日] 2011-09-04

 須原屋書店明治三十九年十月再版→明治四十年十一月七版を入手。
 伊藤善韶(東所)序が寶暦十三(一七六三)年、刊本が出たのはやっと明治十二年(~十八年)だが、五十音順排列は稿本通りだったのだらうか。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902815/418

国史の研究〈〔第1〕〉総説 (1947年)

岩波書店 / 1947刊 / - /
購入: 2011-09-04  /¥250
未読 古書

[投稿日] 2011-09-04

 購入せるは『更訂 國史の研究 總説』昭和六年八月第一刷。のち昭和十六年六月第九刷で「附録 自昭和六年至昭和十五年 國史公刊目録」(pp.501-531)を増補し、一九四七年に第十二刷を刊行してゐるのが別書誌の扱ひ。
 http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000868564/jpn
 http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN15306677
 この更訂初版は本文に續けて卷末奧附前に「正誤表」三ページ分(ノンブル無し)を附載するが、うち二ページ目最後尾から三ページ目初頭にかけて三行續けてを赤線で抹消したものが賣られてゐたのを見た。しかし我が架藏本はその三行分を削除して前に詰めてある。即ち、正誤表で二ページ目、「頁」番號が二四八の行と二五四の行の間が無かったことになってゐる。それだけ三ページ目は行數が減って、不自然に前の方が空いてゐる。明らかに正誤表のページだけ版が異なるのだが、しかし奧附刊記は兩册とも全く同じで差異がない。隱れた異版があるといふわけだ。抹消された三行で指摘された箇所は、望月信亨→信享とするのが二箇所、狩谷棭齋→掖齋とするのが一箇所、いづれもむしろ本文のままが正しかったから、抹消されたのは適切である。いま國會圖書館藏本を近代デジタルライブラリーで確認すると、何と、正誤表が無い。その代り、本文の該當箇所はペンで修正してある。しかし抹消分三箇所は反映されてないから、三行抹消版正誤表に基づくらしい。尤も修正漏れもある(二四八ページ)から、斷言はできないが。
Cf. http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1075909/28
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1075939/164
 内容は、「第二章 補助學」等が目當て。

日本の心理学 (1982年)

日本文化科学社 / 1982-02刊 / ¥6,480
購入: 2011-09-04  /¥500
未読 古書

[投稿日] 2011-09-04

 『日本の心理学』刊行委員会編。「第四編 城戸幡太郎先生の学風と業績」があり、城戸の八十歳祝賀記念論文集として企劃されながら遲れて米壽記念になったといふ代物。第一編「2 わが国心理学界の諸先達」といふ列傳が目當て。

現行法律語の史的考察 (1930年)

万里閣書房 / 1930刊 / - /
購入: 2011-09-04  /¥350
未読 古書

[投稿日] 2011-09-04

 「序」で自ら名を出してゐるやうに、これは或る意味、日本のグリムである(堅田剛のグリム論に曰く「歴史と法と言語のトリアーデ」)。しかしそれ以外は世界的に見ても類本が無いことはこれまた自序に述べる通りなのだらう。法律語とは思へない「ちやきちやき」だの「手を燒く」だの「厄介」だのいふ俗語も入ってゐるのを見ると、嬉しくなってしまふ。佐藤喜代治編『語彙研究文献語別目録 講座日本語の語彙別巻』(明治書院、一九八三年十一月)にも採られてないが、國際日本文化研究センターの『日本語語彙研究文献データベース』で「収録した研究書及び辞書類など」には擧げられてゐる。しかしそれで檢索すると、「ちゃきちゃき」でも「手を焼く」でも「厄介」でもヒットしないのは何としたこと。いづれも第二章第二款第二項第二目第一節「四、普通語となる離脱」に取り上げる語だが、前後の節(の下の單位だが、何と呼べばよいのか)からは拾ってある所を見ると、どうもこの部分だけ故意に採録してないやうだ。一體どういふわけだ、近代語彙ではないからなのかと、小一時間問ひ詰めてやりたくなる。
 Cf. http://gainen.nichibun.ac.jp/main/book

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1281179/184
http://home.q02.itscom.net/tosyokan/itadura.htm

日華大辞典〈第1-3巻〉

東洋文化未刊図書刊行会 / 1936刊 / - /
購入: 2011-08-11  /¥300
読中 古書

[投稿日] 2011-08-11

 三十萬餘の語彙數を誇り口語俗語をも多く含むことは、當時の國語辭典にも求めて得られぬ特色だらう。和語をどう漢語に變換するかといふ面から見れば俗→雅辭典の機能も幾らか持つわけである。題扉にNipponese-Chineseと列んで Nippon-Manchukuoとも記され、北支・滿洲での利用を想定したもののやうだ。「原型版」とあるので、大陸で發行された版があらう。
 作例が時代色を表はしてゐて、今見ると可笑しい。當然ながら日本帝國主義も露骨だが、戰後臺灣で複刻した際には差し替へたのだらうか。それにしても語義説明の文まで「てゐる」が「てる」と俗語調なのはどうしたことか。
 東洋文化未刊圖書刊行會といふ版元も變な名稱でこれ以外出版した形跡が無いのだが、東京朝日新聞一九三九年四月九日附廣告によると會長は芳澤謙吉。

輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか? (ちくま新書)

筑摩書房 / 2007-01刊 / - /
購入: 2011-07-30  /¥200
讀了: 2011-07-31 哲学・思想

[投稿日] 2011-07-30

 對象は專らドイツ哲學で、從って(?)日獨の教養主義批判でもある。が、新刊當初に立ち讀みで目を着けた時ほど面白く思はれなかった。新しく啓發されるところが少ない。買はずとも借覽で濟ませればいい本だったかも。

知の座標―中国目録学 (白帝社アジア史選書)

白帝社 / 2003-10刊 / ¥1,728
購入: 2011-07-03  /¥650
讀了: 2011-06-26 人文・思想

[投稿日] 2011-06-26

 四部分類を成立せしめた「史部」が、ポイントになってゐる。川勝義雄『中国人の歴史意識』と併讀すること。著者は觸れてないが、「六經皆史」と斷じた章學誠の『文史通義』につなげられるだらう。つまり、本書と同樣にして新たな支那史學史が書かれることが望ましいが、なぜか目録學關係の著作者は文學研究者ばかりみたいで期待できない。
 井波陵一「六部から四部へ――分類法の変化が意味するもの」(冨谷至編『漢字の中国文化』昭和堂、2009.4)に竝んで補ふ所あり。
 井波陵一編『漢籍目録を読む』(〈東方學資料叢刊〉京都大學人文科學研究所附屬漢字情報研究センター、2004.3)は、内題では副題に「――実習(カード作成・データ入力)のために」とある通り、圖書館司書向け講習用の教本册子に留まり、讀むに及ばない。

思想 2007年 11月号 [雑誌]

岩波書店 / 2007-10-30刊 / ¥1,543
購入: 2011-05-10  /¥0
讀了: 2011-06-12 雑誌

[投稿日] 2011-05-10

特輯「ソシュール生誕150年」
 期待したほど面白い論文は無かった。部分では得る物があるのだが、物足りない感じで終るのが多い。
 幾つかの論文に共通する點として、「共時」をどう考へ直すかが要所か。

目次 https://www.iwanami.co.jp/shiso/1003/shiso.html

現代思想2007年11月臨時増刊号 総特集=マックス・ウェーバー

青土社 / 2007-11刊 / ¥1,440
購入: 2011-05-10  /¥0
讀了: 2011-06-10 人文・思想

[投稿日] 2011-05-10

 野口雅弘「信条倫理化する〈保守〉 ウェーバーとマンハイムを手がかりにして」上野俊哉「母のスワン・ソング、息子のデス・ディスコ」がまあまあ。荒川敏彦「殻の中に住むものは誰か 「鉄の檻」的ヴェーバー像からの解放」と三笘利幸「「没価値性」から「職業社会学」へ 尾高邦雄のヴェーバー受容をめぐって」は誤譯批判として心得ておく。

目次 http://www.seidosha.co.jp/index.php?%A5%DE%A5%C3%A5%AF%A5%B9%A1%A6%A5%A6%A5%A7%A1%BC%A5%D0%A1%BC

ニッポンの書評 (光文社新書)

光文社 / 2011-04-15刊 / ¥799
購入: 2011-05-04  /¥0
讀了: 2011-05-05 本・図書館

[投稿日] 2011-05-04

 こんなに本が好きなのに、自分には興味の無い世界がこれほどあるなんて、書物の世界は廣い廣い。逆に言へば、世間普通の讀者はここにあるやうな本への關心が大半なので、自分が偏り過ぎてゐるのだらうが。著者は書評と評論・批評とを截然と分けてしまってゐるが、書評といふか正確に呼ぶなら現代小説の新刊紹介、サマリーだな、これは。それはそれで藝を磨いてくれればよいけれど、では、さうでない意味での人文書讀みのための書評論は那邊にありや。

http://d.hatena.ne.jp/leeswijzer/20110505/

目録学 (1979年) (東洋学文献センター叢刊影印版〈1〉)

汲古書院 / 1979-03刊 / ¥1,836
購入: 2011-04-29  /¥1000
讀了: 2011-06-25 古書

[投稿日] 2011-04-29

 章學誠『校讎通義』が讀みたくなる。 
 内藤湖南『支那目録學』からどの程度に踏襲しまた踏み出してゐるかを測らねばなるまい。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/iocpicservice/110330~%E5%80%89%E7%9F%B3%E6%AD%A6%E5%9B%9B%E9%83%8E%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88/05019~05019%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%9B%AE%E9%8C%B2%E5%AD%A6/

http://picservice.ioc.u-tokyo.ac.jp/01_130112~%E6%BC%A2%E7%B1%8D%E7%9F%A5%E8%AD%98%E5%BA%AB/110330~%E5%80%89%E7%9F%B3%E6%AD%A6%E5%9B%9B%E9%83%8E%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88/050190~050190%E4%B8%AD%E5%9C%8B%E7%9B%AE%E9%8C%B2%E5%AD%B8/

忘れ得ぬ国文学者たち―并、憶ひ出の明治大正 (1973年)

右文書院 / 1973刊 / ¥1,296
購入: 2011-04-29  /¥300
讀了: 2011-05-02 古書

[投稿日] 2011-04-29

 國文學研究史の背景としては使へる。
 著者が沼波瓊音が大好きなのはよく解ったが、あまり魅力を感じない。同樣に岩本素白も言はれるほどいいと思はぬのはこちとら散文的な朴念仁だから仕方無いのかしれんが、しかし紹介されてゐる岩本書翰はなかなか讀みたくなる文章なので、全部を收録するといふ『近世日本文学管見』を探すとしよう。それにしても、著者の文章はその敬慕する文筆家たちの影響がまるで感じられず、平易ではあるが可もなく不可もなく、凡庸な文體なのは不思議。ほんの稀に凝った用字が出るくらゐ。福澤諭吉に倣ったわけなのか? 纔かなこだはりであった歴史的假名遣も歿後の新版では現代假名遣ひにされてしまったので、敢へて舊版を探してゐた。

1.kamiyam 【2011-05-07 3:59】 (削除)
私は伊藤の文体は結構好みです。まさに平易かつ凡庸なところがいいなあと。
2.森 【2011-05-07 14:48】 (削除)
 いやあ、惡いとも嫌ひとも思ひませんが、特徴の無いものを好むのは難しい。森銑三みたいに、端正なやうでもあからさまに整へた書きぶりだと文體の特徴が掴めるんですが。フランソワ・ジュリアン『無味礼賛』でも讀んだら參考になるかしらん。

目次(新版) http://www.yubun-shoin.co.jp/book/book_detail/4-8421-0007-9.html 

文学研究における継承と断絶―関西支部草創期から見返す (いずみブックレット)

和泉書院 / 2009-11刊 / ¥1,080
購入: 2011-04-26  /¥404
讀了: 2011-04-26 文学・評論

[投稿日] 2011-04-26

 企劃者の「近年の研究状況は、[……]現下の立脚点になった「近過去」の積み重ねにあまりにも冷淡」(p.2)といふ問題提起は結構なのだが、シンポジウムがまるで討論になってない感想會なのはいつものことながら殘念、但し前田愛のエピソードが拾へる所は面白い。パネリスト二名のうち平岡敏夫「文学史研究における継承と断絶」は過去の自文の引用ばかり、歩一歩を進めて貰ひたいのだが(特に「『明治文学史』研究」で)老齡には酷か。谷沢永一「文学研究の発想」の方は、既發表との重複も多いが流石にハナシはうまい。方法論論爭の背景にあった三好行雄の對小田切秀雄批判の代理戰爭といふ面については小谷野敦『現代文学論争』(2010.10)が特筆してゐたが、先驅けてここで谷澤本人が明言してゐるのであり、これを參照すべきだった。しかし谷澤自身が「最後にものをいうのは事実です」と約言してしまひ(p.22)、それを「最後にものを言うのは事実だ」とのみ受け取る(p.47浅野洋發言)やうでは、論爭の意義を矮小化した「継承」になる。やはり改めて「方法」について前田愛からの批判をも含めて再考すべきであり、でなくては故人も浮かばれまい。

目次 http://www.izumipb.co.jp/izumi/modules/bmc/detail.php?book_id=10062