[投稿日] 2015-04-10
表紙右に「經濟往來第十卷第八號(昭和十年八月)所載別刷」と印字す。修正書込み四箇所あり。
内容は『大塚金之助著作集』でも讀めようが、學術雜誌でない純然たる商業誌への寄稿で拔刷を作らせた例は珍しいので。そんな出版社を困らせる我が儘な所業、柳田國男の「橋姫の話」(『女學世界』一九一八年一月)以外に見たことない。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA57517531
[投稿日] 2015-04-10
表紙右に「經濟往來第十卷第八號(昭和十年八月)所載別刷」と印字す。修正書込み四箇所あり。
内容は『大塚金之助著作集』でも讀めようが、學術雜誌でない純然たる商業誌への寄稿で拔刷を作らせた例は珍しいので。そんな出版社を困らせる我が儘な所業、柳田國男の「橋姫の話」(『女學世界』一九一八年一月)以外に見たことない。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA57517531
[投稿日] 2009-10-29
近世文人の風景批評が主題だが、裏テーマは歴史的に見た學問論・知識人論でもある。
學問(といふか學藝)論の一節――「学問が、同じことだが知識と言葉が、歴史的に眺めて、この社会で初めてそれ自体の価値と力量とを自覚して学に本来的な自律性の原理に生きることを開始した。[……]/といって、このことがただちに学問が実際の政治ないしは行政に用いられたことを意味するととるのは早計にすぎる。そもそも知識と言葉が、それがほんもの[四字傍點]であるならば、いわゆる実際社会において、政治や経済や軍事の領域で有効であるなどという保証はどこにもありはしないのである。たとえば、国家有用の学問というのは明白な形容矛盾にほかならず、事実は国家に有用であるとき、その学問は無邪気にも堕落している、つまり学ではない。無用性こそほんものの学の名誉の印なのだといっていい。」(p.377)
ついでに、讀書論・教養論の一節も。特に前半――「けだし教養とは自分一個の精神の成長に資するもの、清風[=十聲樓主人]のばあいには、町なかの雑音かしましい熱鬧に暮らしながら、その卑俗をきらって拒絶するのではなく、読書によって形成された生を間接化する力――生にたいしては本質的に暗示引用[アリュージョン、引喩]にほかならない読書から得られた知によって、卑俗も含めた生の直接性を捨象して、生全体を抽象化し観念化することによって、反転して生と世界とを全称的に肯定することのできる穆如たる心の作動――によって、喧騒と静寂また卑俗と風雅の即事的な差異を撥無して、世界の中に確固たる生の位置を占めうるまでに彼の精神を育てるものであるからである。」(p.247)
[投稿日] 2016-07-03
背文字・表1・標題紙では「繪画と印刷」と畫字のみ略字で畫くが、目次・奧附に從ふ。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1906744?tocOpened=1
[投稿日] 2010-07-31
卷末「主要索引」(就中「人名」)が粗慢で頼りにならぬ。一體これは著者も編輯者も校正してないのか、と疑はれる。この分だと既藏の他の卷も索引を自分で取り直さねばなるまい。
[投稿日] 2011-03-11
[投稿日] 2011-03-11
[投稿日] 2011-03-12
[投稿日] 2011-01-28
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3047995
[投稿日] 2011-01-08
[投稿日] 2010-11-20
[投稿日] 2015-08-16
函缺・ジャケット有。
目次
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1939736?tocOpened=1
http://kenkyuyoroku.blog84.fc2.com/blog-entry-287.html
[投稿日] 2010-11-07
[投稿日] 2010-08-07
やはり、「こころ」を云々したがるものは性に合はなかった。それよりも、「技」と結びついた「考へ方」を明らかにすることが大事だし面白いと思ふ。心構へや職業倫理を文學的比喩で語る本は他業種でもありふれてゐるが、どうも、知情意で言ったら知が足りなくないか。いつの日か『校正の思考』や『校正の思想』の讀める時が來ますやうに。
[投稿日] 2010-12-03
この時點でなほcivilizationを「文化」と譯してゐる?
[投稿日] 2016-01-10
「富永牧太先生記念号」、館長退任記念。因みに107號(一九九七年五月)が「天理図書館名誉顧問富永牧太先生追悼特集」。
目次 http://www.tcl.gr.jp/shuppan/biblia/biblia-index.htm
古野清人、神田喜一郎、中村幸彦、野間光辰、小倉親雄、岡田温、反町茂雄、吉川幸次郎、ほか。
[投稿日] 2009-10-29
[投稿日] 2009-10-29
[投稿日] 2009-10-29
一般的には惡くない本だらう。讀んで新知識は得られ、ためにはなった。が、趣味ではない。
[投稿日] 2015-05-23
非賣品。挾み込み太田安雄手簡に「私の曾祖父」とあり。第五章・第六章が『東京醫事新誌』について。
近藤禧禔男(きしを)「「東京医事新誌」――明治初期の医学雑誌についての考察」『医学図書館』20卷2號(一九七三年)は、參考文獻に使はれてゐない。
http://doi.org/10.7142/igakutoshokan.20.141
[投稿日] 2009-11-24