[投稿日] 2010-08-28
11・12月號「特集=ステレオタイプ」
http://www.iwanami.co.jp/bungaku/0706/toc.html
[投稿日] 2010-08-28
11・12月號「特集=ステレオタイプ」
http://www.iwanami.co.jp/bungaku/0706/toc.html
[投稿日] 2009-11-15
[投稿日] 2010-11-20
[投稿日] 2010-10-09
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20101009/p2
[投稿日] 2015-09-27
〈学問の群像シリーズ〉。ジャケット缺。
[投稿日] 2015-09-27
〈学問の群像シリーズ〉。ジャケット缺。
[投稿日] 2010-06-02
有名な「エティック/イーミック」概念を立てた言語人類學者の理論を知りたかったのだが、博大な經驗的知識を二流(second class)の哲學で原理化してゐるやうにしか見えない。或いはsecondhandといふか、引用してゐる哲學を見ても筋が惡い。四つの素性とか言ひ出した所は、全然畑違ひだがタルコット・パーソンズのAGIL圖式を想ひ出させた。文化差の話をしてゐる所も、良くてエドワード・ホール止まりの氣がする。全くアメリカ人の粗大さってのは……。まあ一九一二年生まれの爺さんだから理論が古臭くても當然だし、『英語学の基本概念 タグミーミックス入門』(而立書房)に就くべきだったのかもしれず、評價は保留しておく。譯文も二流だし。パイクが「単一言語デモンストレーション」と稱する講義で評判を取ってゐたのは知らなかったが、さぞや面白い見世物ではあらうものの、それでパイクに傾倒してしまった譯者もどうかと思ふ。
[投稿日] 2011-03-11
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20140813/p1
[投稿日] 2010-09-26
愚著。前半の方法論は、文學志向による「スタイル」概念への過大負荷、理論の體を成さない。後半はただの詩論。これだから詩の好きな奴って……『修辞学の史的研究』はマシだった筈だが。こんなものが研究史上特筆される(吉武好雄「日本における文章論の発達」)のは文體論研究の程度の低さを示すものだらう。増訂版(一九七一年)を探す必要もあるまい。「まえがき」に後の『筆蹟の美学』(→改題『筆跡の文化史』)に至る問題意識を見られ、「あとがき」から服部嘉香との交流が窺へたくらゐが精々收穫か。舊藏者名「伊藤富士麿」と印あれど他に書き込み等無し。
[投稿日] 2011-04-23
第二論文「主題構成の方法と文体の一般的方法との関係」はモチーフ論でもあり、「民俗学派について」の節に始まって口承文藝研究には示唆する所多いと思ふのだが、プロップと違ってこれが參照されたのを見た憶えないのは不審。もしや自分が勉強不足なだけかと思ってウェブ檢索したら、朝野十字といふ人がフランス構造主義におけるフォルマリスム導入に際してシクロフスキーは歪んで受容されてないかと指摘してゐた。『散文の理論』は書名通りであって詩的言語の理論ではない、といふことも。
http://asanojuji.blog61.fc2.com/blog-entry-312.html
[投稿日] 2009-10-30
目次 http://www.musabi.co.jp/books/163187/
[投稿日] 2016-07-24
大日本圖書發賣。本文551ページ。
國會圖書館所藏無し、前後でこの第五百號のみ缺號。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6040950?tocOpened=1
教育出版センターより複刻版あり。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN10073405
武政太郎「讀書の心理」
岸田國士「文藝と國語」
神保格「音聲言語の教育」
石山脩平「全體主義社會觀と國語教育」
石黒修「口語日本語と國語政策」
ほか
[投稿日] 2013-07-26
角書「改訂」と冠し、一九五三年刊講談社版に「VIII 日本における日本教育史研究の歴史(1958年稿)」「改訂版への跋文」を増補せるもの、「訂正をほどこしたところは,400か所をこえている」由。
[投稿日] 2009-10-29
甘い。筆者を取り替へて書き直せ。
[投稿日] 2015-10-23
函缺。發賣所栗田書店。ジャケットは表1「讀者諸氏へ」表4「書店各位へ」を著者筆蹟により印する。
https://pbs.twimg.com/media/CXy9-3lUAAApr09.jpg
初版一九三五年八月刊(國會圖書館所藏無し)に加へ、姉妹版『賣れて行く本の話』(一九三六年九月)のうち「一 原稿の出來るまで」を除く二~一六章を「第二 取引(賣行實績の實例談)」「第三 參考(自己の知識とすべき話色々)」として取り込み、「相應に訂正や増補の筆を入れて」(「序」p.3)成ったもの。
Cf. http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1261232?tocOpened=1
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1220299?tocOpened=1
[投稿日] 2010-07-25
[投稿日] 2011-10-09
一九四〇年七月初版、一九四五年十月三版。後に新訂補修版一九四八年六月文求堂書店刊ありて『長澤規矩也著作集 第九卷 漢籍解題一』に收む。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1914605
[投稿日] 2011-07-08
全體の三分の一を占める清代の記述が壓卷(『清朝史通論』の「経學」「史學及び文學」の章と併讀すべし)。新しい時代から遡って讀んでいった方が面白いかも。章學誠論が未成に終ったのは惜しい。
索引の間違ひと不足が少し氣になった。
[投稿日] 2011-07-08
湖南全著作中第一に指を屈すべき名著――但し、學問方法論への志向を讀み取らねば眞價が味はへまい。鄭樵その他目録學に關する敍述もかなり含み、湖南全集第十二卷「支那目録學」と竝べて補ふべきもの。吉川忠夫「解説」も良い。
瑕釁はある。唐代の杜佑『通典』について、内藤湖南全集の「通典の著者杜佑」(第六卷、初出一九二九年)「昭和六年一月廿六日御講書始漢書進講案」(第七卷)での高評價に比べると記述が薄くて目立たないのは、不審。しかも朱子が杜佑を「古を是とし今を非とするの書である」と評したとある(p.317)のは、講義ノートに據った遺著にしてもひどい謬記で、原文は「非古是今之書」(朱子語類卷第一百三十六歴代三)と正反對。それでなくては支那には珍しい杜佑の進歩主義を評價した意味が無くなってしまふ。さらに、杜佑が民俗學的考察法の先驅である點について他では強調してゐたのにこの『支那史學史』中に全く觸れてないのも訝しいことで、湖南もまだ大正年間の講義中にはそれに氣づいてなかったとか?
[投稿日] 2011-09-04
須原屋書店明治三十九年十月再版→明治四十年十一月七版を入手。
伊藤善韶(東所)序が寶暦十三(一七六三)年、刊本が出たのはやっと明治十二年(~十八年)だが、五十音順排列は稿本通りだったのだらうか。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902815/418