[投稿日] 2010-09-12
著者のマニアックな良さが新書判だと出せなかったやうで、ガッカリ。この程度が當今の新書に求められる「わかりやすさ」なのかも。
チト驚いた豆知識をメモ。「『夜想』などの雑誌を出版していたペヨトル工房(一九七九?二〇〇〇)を主宰していた今野裕一は筆者の実兄であるが、筆者も「北野真弓」などという名前を使って『夜想』の編集の手伝いめいたことを少しの間していた」(p.147)。それだから『消された漱石』はあんな凝った版面設計だったのか?
[投稿日] 2010-09-12
著者のマニアックな良さが新書判だと出せなかったやうで、ガッカリ。この程度が當今の新書に求められる「わかりやすさ」なのかも。
チト驚いた豆知識をメモ。「『夜想』などの雑誌を出版していたペヨトル工房(一九七九?二〇〇〇)を主宰していた今野裕一は筆者の実兄であるが、筆者も「北野真弓」などという名前を使って『夜想』の編集の手伝いめいたことを少しの間していた」(p.147)。それだから『消された漱石』はあんな凝った版面設計だったのか?
[投稿日] 2009-10-29
新規追加の一篇「受容理論――その知られざる前史を顧みて」も含めて、なぜ「期待の地平」とか受容美學とかいふ新たな提言よりも、文學史史(文學史が過去に研究・著述されてきた歴史)を述べた部分の方が面白くて、ためになるのだらう。さう感ずるのは、何も私が歴史的知識が好きな後ろ向きの人間だからばかりではあるまい。譯註と譯者解説は立派だが、日本の讀者の受容状況では(ましてや日文協流では)空回りだったと思はれるのが惜しい。
[投稿日] 2011-01-21
[投稿日] 2017-01-15
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1231706?tocOpened=1
ジャケットは背と表1以外は廣告にて、表4は「豫約募集 唯物論全書 全十八卷」、右袖は岡邦雄『科學と文學』、左袖は戸坂潤『思想としての文學』(三版出來)。
「I」に批評論を收め、小林秀雄流の「私評論」(p.2)擡頭下での若き世代の批評觀が看取される。
各篇末尾に初出の年月のみ記す。最も古いのは「谷崎潤一郎 「春琴抄」について」「林芙美子論」「森三千代氏について」が「(一九三三、八)」。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA45820350
[投稿日] 2011-01-21
蓮實重彦「批評とその信用 初期小林秀雄の姿」が秀逸。
[投稿日] 2010-09-11
廣くカバーして色々ぶちこんであるので情報量はあるのだが、その情報の書誌記述などが精密でなく頼りにならず、且つ論理の取っ散らかった頭の惡い文章(文章のことであり、著者の頭腦が愚鈍とは言はない)。問題設定を生かして、誰か書き直してくれ。
[投稿日] 2010-09-11
引用文で當時は普通だった用字にまで「ママ」とルビを振るから、若い者の物知らずに見えてしまふ。註を見ると拔かりなく調べてある風なのだが、博搜にも拘らず、「序章」「終章」の問題設定が詰まらないのは取って附けたお體裁だからなのだらうか? 總體に考察や論評が弱く、折角掘り出した素材の旨味を生かせてないやうな。「あとがき」で池田浩士の談と云ふ「オタク精神」(p.455)とは、「精神」である以上、資料漁りの物慾にだけ發揮さるべきものではあるまい。といって超國家主義者たちの「非合理」の情念に共感されても下らない、如何に國家を超えるかなどと下手に眞面目ぶるよりも面白がりの態度を取った方が知的準位を保つことあるべし。次作でひと皮剥けることを期待。個々の事實の細敍については卒讀ではつきあひきれない、後日借り直すか。
[投稿日] 2010-05-25
ほとんどが笠信太郎論。あと、誤植ひどい。
http://www.shuppan.jp/bukai12/360-19402010614.html
目次 http://www.showado-kyoto.jp/book/b96885.html
[投稿日] 2009-10-29
[最終更新] 2014-09-29
[投稿日] 2011-03-11
[投稿日] 2010-10-21
書名に言ふ「批評」がほぼ文藝批評でしかない。『季刊批評』→『批評空間』の近代批評史が文學以外に擴げたのが生かされてない。難癖をつけるやうだが、社會派の態度を示す割に文學に囚はれてゐるのは料簡が狹くないか。文藝批評と言っても同時代文學評でなく過去の作家作品を論じたものが主對象だから、畢竟これは文學史論だらう。それはそれで結構だが、但し學術的な文學史研究は除外されてゐる――さうすれば學界批判には手を出さずに濟むし? いや、所詮は近代文學研究なぞ文藝批評の影響下から自立できぬ似而非學問といふことか。そこに屬する著者自身の立場は如何に。
メタヒストリーと言ふだけあって、ところどころで成程と思ふ概觀はある。例へば、中村光夫(ら)が白樺派をうまく扱へなかった理由とか。いささか疑問だが、江藤淳パラダイムがそんなにも鞏固だったのか(少なくとも著者の世代にとっては)、とか。この著者の本では一番性に合ふ方かもしれぬ。
目次 https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0236540/top.html
[投稿日] 2011-03-11
[投稿日] 2009-11-03
[投稿日] 2009-10-30
[投稿日] 2009-10-29
從來の研究が「人物批評」や「作品批判」に留まってゐたので「実態」の解明を行ふと。その言や善し、手堅い歴史學的研究として評價せねばなるまい。が、讀んで面白いものではない。對象が面白くなければ仕方無い? しかし、實態とは、社會活動や政治的影響のことばかりでいいのだらうか。柳北の書くものも文飾を取っ拂って内容だけ忠實に拾ひ上げたら存外常識的で詰まらないが、それでは彼一流の奇文を讀んだことにはなるまい。同樣に、屈折拔きに平板化した敍述で事實を綴らうとした執筆姿勢に問題があるとしたら? 眞面目な研究者に求める方が無理にせよ。
[投稿日] 2009-11-13
宮島大八(詠士)の父。
[投稿日] 2010-11-15
[投稿日] 2016-06-16
桑原三郎監修, 杉浦重成, 武田敏伸, 白井文子, 片山壮吾, 大谷一途
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010718708-00
山田文庫及び山田文庫展については桑原三郎『随想集 下湧別村』(慶應義塾大学出版会、一九九九年十一月)所收「日本の子供の雑誌――山田文庫展――」「慶應義塾幼稚舎の山田文庫」にも記述あり。但し展示に就ては一九六九年九月の第一回から七三年までを述べ、その後は中斷と。
http://www.ajup-net.com/bd/isbn978-4-7664-0765-5.html
[投稿日] 2010-08-06
[投稿日] 2015-07-05
奧附刊記に「編輯兼發行人 齋藤昌三」とあるも發行所の記載を缺くが、他號により愛書趣味社とした。
「非賣品」。表紙にのみ「(書誌號)」とあり、齋藤昌三「圖書研究の專門誌」がのちの『書物誌展望』につながる書物雜誌の綜覽を試みてゐるのでそれを指すか。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1498135?tocOpened=1