實務上より見たる 出版法略義 附出版關係法令集

丸ノ内出版社 / 1933-03-18刊 / ¥1
購入: 2015-07-05  /¥0
未読 本・図書館

[投稿日] 2015-07-05

 裸本。書名副題は表1のみ「(附出版關係法規集)」としCiNiiはこれを注記に採るが、奧附・標題紙・目次・本文p.70では「法令集」が正しい。
 http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA39396151
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1702577?tocOpened=1
 「内務省警保局圖書課 中村忠 序」。その劈頭に曰く「著者は多年内務省警保局圖書課に勤務せられ、出版法運用の實務に携つて居られる斯道の精通者である」と。
Cf.『書物蔵』2015/1/16(金) http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20150116/p2

寅作と鑄 金原出版の草創

金原出版 / 1969-09-15刊 / - /
購入: 2017-01-15  /¥100
未読

[投稿日] 2017-01-15

 書名は、表紙・標題紙だと墨書風題字で「寅作と鑄」だが、奧附では新字「鋳」。
 裸本。
 國會圖書館所藏無し、CiNii所藏無し。
https://catalog.library.metro.tokyo.jp/winj/opac/switch-detail-iccap.do?bibid=1105259875
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I035046462-00

 「先年出版した「作輔の面影」と二部作のようなかたちになりましたが、順序からいいますと、この「寅作と鋳」が第一部で、「作輔の面影」が第二部になるわけです」(金原四郎「後記」)。『作輔のおもかげ』は一九六六年刊。
 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001281785-00
 「母の一周忌」(享年百)の饅頭本だが、「金原とうの剖検」を病理解剖寫眞附きで載せるのが醫書出版社ならでは。

宮良當壯全集 21 日記抄 風雪・家譜

第一書房 / 1988-01-10刊 / ¥9,800
購入: 2015-12-11  /¥200
未読 人文・思想

[投稿日] 2015-12-11

 「日記抄」は20卷より續くものにて「昭和十五年」から「昭和三十六年」まで。宮内廳圖書寮勤務。
 http://www.daiichishobo.co.jp/shinkan/shokai/619.shtml

客分と国民のあいだ―近代民衆の政治意識 (ニューヒストリー近代日本)

吉川弘文館 / 1998-07-01刊 / ¥2,808
購入: 2014-12-29  /¥525
讀了: 2015-02-18 歴史・地理

[投稿日] 2009-11-15

 やっと安く買へた。讀みやすく、面白い。
 ここでの民衆による「仁政」觀念に對する把握は、モラル・エコノミー論に「示唆をえた」もの(卷末「文献案内」pp.6-9)。幾分か經濟人類學的でもあるこの概念は批判もあって問題含みだが、市場制度に基づく政治經濟(學)に對抗する被治者側の「正当性」(p.53)(=正統性)論といふ意味では興味深い。眞に造反有理と言ふか、アナーキーな感情的暴發に見えてもそれなりに用意された理法があったわけ(人格的な「徳義」として語られるのが限界であれ)。I章「2 仁政と徳義――強者の責務――」參照、特に傳室鳩巣「不亡鈔」を引くあたり(p.49)は「封建契約」とは言ひ條いささか社會契約説にも近づくかの如し。
 Cf. 『本に溺れたい』2010年4月19日「モラル・エコノミー Moral Economy を巡る若干の議論」http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2010/04/moral-economy-4.html
 按ずるに。そも客分とは、「まったくの家臣や雇い人などでもなく、家族でもない」(『日本国語大辞典』)。自分の土地を持たぬ借地借家人であり食客であり寄寓者である。柳田國男「居候及び厄介」が取り上げたヤカヰ(家居)。したがって定住の豪農地主層(士族と違って財産選擧制を支持する改進黨系の「富裕な農民民権家」p.92)とは合致しないが、これが寄生地主・不在地主となって土着性を失ってゆけば、地域から遊離した客分になるだらう。徂徠の所謂「旅宿の境涯」。治者でさへ客分意識を脱し難かったこと(國替へ後の大名・武士の例、p.47)は松尾純子評が注目してゐた――「客分意識はなにも民衆の意識であるとは限らず,治者や富者の意識でもありえるのだ。」(『大原社会問題研究所雑誌』489〈書評と紹介〉、一九九八年八月、p.47)
Cf. http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/489/
 民衆史の枠を外して考へ直してはどうだらう。「はじめに」で民衆以外の例に夏目漱石を引いた後、「しかし今回は、こうした自覚的に選択された客分意識は視野の外においておく」(p.16)と議論はお預けにされてゐた。然るに「おわりに」の結び近くになって、「今のわたし(たち)は、現前する国民国家の共同性に眼をつむることなく、しかもそこから不断に乖離するよう努める、いいかえれば自らの存在被拘束性に対峙しつづける、そんな自覚的・自律的な客分であることが求められているように思われる」(p.239)との見通しが告げられる。それを論ずるつもりなら、一つには、「III 国民化の回路」以下に敍述した流れから外れて「客分に自足した矜持を保」(p.196)ったままナショナリズムの一體感(對外問題や祝祭化や普選運動)にも同調しなかった事例(むしろ例外者にせよ)に就く手がある――例へば「逆にエリートのなかには秩序からの自覚的な逸脱や国家への懐疑も生まれる」(「IV 仁政のゆくえ」p.204)とか。さらには、民衆史そのものよりも民衆論の言説史・思想史に入る手もあらう。「「民衆」を論じる者が民衆でありえないのは自明だが、抜きがたい客分意識を共有するかぎりで、わたしは自分を民衆のはしくれと思いたがっている」(「おわりに」p.239)と自ら言ふ、そのやうな意識の系譜學。
 民衆と共に政治への拘泥も自縛に見える。副題に「近代民衆の政治意識」とある通り「客分意識はたんなる政治的無関心ではない。「赤髭が威張ろうが、安穏に生活できればいい」という意識もまた、ひとつの政治意識である」(p.12)と斷じ「経世済民」の語を擧げて「近世民衆にとって、経済と政治ははっきり分けられるようなものではなかった」(「I 民衆にとっての〈政事〉」p.68)と述べるのだが、これでは客分を稱する態度が非政治性の表明である面が見落とされてしまふ。一部アナキストみたいに反政治的 antipoliticalとなるのみならず、そんな積極的な政治の排除よりも脱政治的 depoliticalとか無政治的 apoliticalあたりか(丸山真男「政治的無関心」『政治学事典』平凡社、參照)。鼓腹撃壤、帝力我に何かあらんや。また本書で國學は「仁政と客分を否定する論理」に使はれたことで取り上げられるが(pp.76-78)、松本三之介『国学政治思想の研究』が説いた國學における被治者の非政治性と併せ見ると如何。

http://homepage3.nifty.com/tanemura/re2_index/M/makihara_norio.html

実践国語 1954年11月号(第15巻第170号)「特集 読書指導はこれでよいか―シンポジウム―」

穂波出版社 / 1954-11-01刊 / ¥70
購入: 2017-03-10  /¥200
未読 本・図書館

[投稿日] 2017-03-10

目次 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000359010-00

宝島 1979年4月号「ほとんど総ての人のための カール・マルクス入門」

JICC出版局 / 1979-04-01刊 / ¥480
購入: 2015-08-04  /¥309
未読 語学・辞事典・年鑑

[投稿日] 2015-08-04

 目次で「特集」と銘打たれた別冊宝島風マルクス解説より、第二特輯とも言ふべき「宝島明解 国語・英和辞書操縦法」(pp.135-166)が目當て。表紙では「辞書繰縦法 選び方と使い方」と記し「繰」に誤植する。

季刊d/sign デザイン no.18

購入: 2010-11-20  /¥0
未読 アート・建築・デザイン

[投稿日] 2010-11-20

http://www.ohtabooks.com/publish/2010/10/16000000.html

季刊 精神分析 第三十一巻

東京精神分析学研究所出版部 / 1973刊 / - /
購入: 2016-08-26  /¥300
未読

[投稿日] 2016-08-26

目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1736787?tocOpened=1
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000214153-00
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000275602-00
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000385037-00
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000149591-00

 發行所は、奧附では「東京精神分析学研究所」、各號表紙下部には「東京精神分析学研究所出版部」。
 戰後の合本が古本に出たのは初めて見た。「東京精神分析學研究所編」(正字表記)は合本背文字にのみ記され、奧附では「編集兼発行人 大槻憲二」とのみ。
 第31卷第4號の大槻憲二「民間学徒苦闘五十年史(Ⅱ)」が目當て。「先輩のための代筆」の節に「柳田国男先生のために「桃太郎誕生[ママ]」の講演を原稿にまとめて上げて進ぜたことがあったが、同先生は新潮社からの稿料全部を私の方に廻して下さって、その先輩らしい高潔な人格に敬慕の念を新たにした」と。末尾「(未完)」とあれど續稿は見出せない。なほ丁度一年前の30卷4號所載「民間学徒苦闘五十年史(I)」は取るに足らざれば買はず。
 31卷2號の不老泉主(大槻憲二)「霜田静志氏の死を悼む」を讀むと、故人を頌するやうでゐて結局自分を持ち上げてをり、己が分析説のみを奉ずる獨善性とそれが對人關係に現れた傲慢さは戰前から變ってないやうだ。

季刊 子どもの本棚 21「特集 子どもの本の研究をふかめるために」

明治図書出版 / 1977-08-01刊 / - /
購入: 2015-08-16  /¥100
未読 本・図書館

[投稿日] 2015-08-16

 奧附刊記は「昭和五二年八月発行」とのみありて日附無し。
 「子どもの本の研究」と稱し、兒童文學研究から出ようとして、なほ離れ切れずにゐるところが問題。卷頭「座談会 子どもの本の研究をどうすすめるか」にて最初に問題提起する鳥越信曰く、「児童図書のなかには文学以外のジャンルもあるからという、単純なものではないんです。ゴーリキイは、理科的なものまで含めて全部児童文学と呼んでいいと言っているくらいですから、子どもの本はすべて児童文学だと、ぼくらも考えているのです」――ウン、まづその文學への拘泥を脱却しなくっちゃ。そして心理學や教育學に助力を仰ぐ前に、本そのものを研究する書誌學・書物史に開眼すべし。

子どもの本棚 1993年10月号「〈300号〉記念特集 子どもの本の書評を考える」

子どもの本棚社 / 1993-10-01刊 / ¥350
購入: 2015-11-25  /¥162
未読 本・図書館

[投稿日] 2015-11-25

目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3468488?tocOpened=1

 「紹介はあっても書評がない」とか。特に面白いことは書いてないが、兒童文學方面で書評問題が間を置いて繰り返し話題になることの例證として。

太田雄寧傳―週刊医学雑誌の開祖

雄寧会 / 2003-08-31刊 / - /
購入: 2015-05-23  /¥100
未読 自伝・伝記

[投稿日] 2015-05-23

 非賣品。挾み込み太田安雄手簡に「私の曾祖父」とあり。第五章・第六章が『東京醫事新誌』について。
 近藤禧禔男(きしを)「「東京医事新誌」――明治初期の医学雑誌についての考察」『医学図書館』20卷2號(一九七三年)は、參考文獻に使はれてゐない。
 http://doi.org/10.7142/igakutoshokan.20.141

天理圖書館報 ビブリア No.68

天理大学出版部 / 1978-04-20刊 / - /
購入: 2016-01-10  /¥100
未読 本・図書館

[投稿日] 2016-01-10

 「富永牧太先生記念号」、館長退任記念。因みに107號(一九九七年五月)が「天理図書館名誉顧問富永牧太先生追悼特集」。
目次 http://www.tcl.gr.jp/shuppan/biblia/biblia-index.htm
 古野清人、神田喜一郎、中村幸彦、野間光辰、小倉親雄、岡田温、反町茂雄、吉川幸次郎、ほか。