明治文化研究会事歴 (1966年) (関西大学国文学会刊行図書〈第2〉)

関西大学国文学会 / 1966-10-20刊 / - /
購入: 2009-10-15  /¥2390
未読 古書

[投稿日] 2009-10-29

 雜誌『新舊時代』→『明治文化』の總目次は『幕末・明治研究雑誌目次集覧』(日本古書通信社、1968)より細密。さすが田熊渭津子。あとは索引があればいいのに。
 関西大学国文学会『國文学』第四十號「特集・明治文化研究会事歴 」(一九六六年十月)をページそのまま刊本とせるもの。挾み込み一葉あり、「「あとがき」で断っておいた『覆刻 世のうはさ』を、この本の発送間際になって見る機会を得たので、急ぎ別刷にして添える」と。
Cf. http://kokubun.sakura.ne.jp/wp/?page_id=150
 田熊「『明治文化研究会事歴』補遺」(関西大学国文学会『國文学』第四十二號、一九六七年十二月)を併せ、また「『明治文化研究会事歴』以後――吉野作造・尾佐竹猛著作目録・木村毅と翻訳文学年表――」(『書誌索引展望』第4卷第2號、一九八〇年五月)も見るべし。

目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2988625

明治大正言論資料 (20) 明治新聞雑誌関係者略伝

みすず書房 / 1985-11刊 / ¥8,100
購入: 2009-00-00  /¥5250
未読 社会・政治

[投稿日] 2009-10-29

 『明治新聞雑誌関係者略伝』、奮發してやっと買ったが……早まったか。條野採菊(山々亭有人)みたいな初期新聞界の著名な人が立項されてないのは案外だ。それよりも有名人の項を見ると、なほ失望する。西田長壽はなぜこんなに遠慮しいしいでないと書かうとしないのだらう。しかしこの人名事典の本領は、他では引けない無名の人を拾へることにあるから、使ひこなすにはこちらに素養が要るだらう。その手懸りとクロス・レファレンスのためには、やはり索引つけてくれなくては。

http://www.msz.co.jp/book/detail/00950.html

メルロ=ポンティと言語

世界書院 / 1988-10-31刊 / ¥2,600
購入: 2002-06-01  /¥300
讀了: 2015-07-03 哲学・思想

[投稿日] 2015-07-03

Phaenomenologica 25
 メルロ=ポンティに見られる讀解法を評して曰く、「フィンク流に言うならば、相手の論拠で用いられている「操作概念」を、求心的な読解を介し「主題概念」へともちきたらす」(「序 メルロ=ポンティ〈の〉読解 レクチュールとエクリチュールのはざま」p.14)――出典註を附さぬが、オイゲン・フィンク「フッサールの現象学における操作的概念」(新田義弘譯、新田義弘・小川侃編『現象学の根本問題』〈現代哲学の根本問題8〉晃洋書房、一九七八年十一月)に據る。これを自身に施せば、「思想家にとって本質的なことは、彼が自分自身でずっと以前から適用していた当の方法を顕在化し主題化することでしかない」(p.50)。同じ傳で主題化されたのが、言語であるといふわけ。「第一部 語る語られた言語」では『行動の構造』『知覚の現象学』等のメルロ=ポンティの論が、行動主義心理學やゲシュタルト心理學が記述や説明に用ゐる言語への批判としてあったことを示す。「第二部 語られた語る言語」にて、ソシュール著と出會った中期以降におけるメルロ=ポンティにとっての主題概念となってからの言語論を讀み解いてゐる。フッサール(フッセルと表記)への參照が多いのは當然として(Phaenomenologicaといふシリーズだし)、ベルクソンが引合ひにされるのが目立つ。

歴史の構造 (1940年) (富山房百科文庫〈第109〉)

冨山房 / 1940刊 / - /
購入: 1995-11-09  /¥200
讀了: 2010-10-10 哲学・思想

[投稿日] 2010-10-10

 一九九五年末に買って、讀んだ形跡もある。が、内容全く記憶に無し。
 『ディルタイ著作集 第四卷 歴史的理性批判』(創元社、一九四六年十二月。書名はジャケット・表紙・挾み込みリーフレットによる、扉・奧附では「ディルタイ全集」)所收の別譯「精神科學に於ける歴史的世界の構成」を讀みながら對照したが、まるで得る所が無い。獨哲の連中は何を有り難がってゐたのやら。それは時代の限界とするにせよ、いま法政大学出版局がディルタイ全集を延々刊行中なのだが、こんなものに肩入れして大丈夫だらうか?

歴史主義 (1970年) (社会科学ゼミナール)

未来社 / 1970刊 / ¥454
購入: 1995-11-04  /¥200
讀了: 2010-09-29 古書

[投稿日] 2010-09-29

 一九九六年に讀んで誤植を訂した形跡まで殘ってゐるのに、内容は全く記憶に無くなってゐた。 
 マンハイムは、歴史主義の弊とされる價値相對主義はリッケルト流認識論の「絶対的形式化」から來ると批判し、空虚な形式主義にならず實質的な内容を以て充たしてこそ眞の歴史主義だと提言するわけで、不變のアプリオリと見られがちな形式や範疇とて時代毎の歴史性に拘束されたものだといふ指摘には同意するにせよ、さういふ當人の議論が專ら抽象論であり、固有名詞や文獻を擧げて内容を具體的に引照しながらそれらと挌闘する歴史實證的な姿勢に乏しいのは、所詮はドイツ精神主義・觀念論の圈内に拘束されてゐたのか。ともあれ、トレルチが歴史主義の二大特徴とした個別性と發展とのうち、前者に偏るマイネッケ流が多い中で後者を重視したマンハイムもゐたといふ見取圖は得られた。と言っても、發展概念を辨證法のダイナミズムの方向で活かさうといふマンハイムの試みは解決になるまい。
 マンハイムの本文は別に難解ではないが、むしろ卷末の徳永恂「〔解説〕マンハイムと歴史主義の問題――一九二〇年をめぐる思想史的覚え書――」の方が力篇だけどいまひとつ解りにくい。

成島柳北研究

ぺりかん社 / 2003-05刊 / ¥5,184
讀了: 2009-00-00 ノンフィクション

[投稿日] 2009-10-29

 從來の研究が「人物批評」や「作品批判」に留まってゐたので「実態」の解明を行ふと。その言や善し、手堅い歴史學的研究として評價せねばなるまい。が、讀んで面白いものではない。對象が面白くなければ仕方無い? しかし、實態とは、社會活動や政治的影響のことばかりでいいのだらうか。柳北の書くものも文飾を取っ拂って内容だけ忠實に拾ひ上げたら存外常識的で詰まらないが、それでは彼一流の奇文を讀んだことにはなるまい。同樣に、屈折拔きに平板化した敍述で事實を綴らうとした執筆姿勢に問題があるとしたら? 眞面目な研究者に求める方が無理にせよ。

読売雑譚集―明治十四年一月‐十七年十一月

ぺりかん社 / 2000-03刊 / ¥4,968
讀了: 2009-00-00 文学・評論

[投稿日] 2009-10-29

 それぁ別號調べも一往すべきことではあるが、どうして柳北執筆分に限定して抽出したがるのかなあ。雜誌や新聞のコラムは集合知の産物なんだから、雰圍氣を味はふためにも全部載っけて、柳北らしきものだけ註記しておけばいいんだよ。脱亞論は福澤諭吉の書いたものでないとかの、個人全集收録範圍を切り詰める議論と同根だね。それと、これまでの「反近代」的柳北觀を是正して啓蒙主義者の面を強調する山本芳明の解説は穩當なのだらうが、面白くない。いっそ木村毅みたいに柳北は常識的不平家で凡俗の市井人に過ぎないと言ひ切るのだったら、話が彈むのに。

目次 http://www.perikansha.co.jp/Search.cgi?mode=SHOW&code=1000000908

ストイックなコメディアンたち―フローベール、ジョイス、ベケット (転換期を読む)

未来社 / 1998-11刊 / ¥2,052
 /¥0
讀了:  文学・評論

[投稿日] 2009-10-29

 表題からは判りにくいが、マーシャル・マクルーハンの弟子がウォルター・オングに獻げた小著。つまり文學論としてよりも、『グーテンベルグの銀河系』『声の文化と文字の文化』と共に讀まるべき本。メディア論的な精神史とでも言はうか、活字印刷が人間の思考や思想のあり方をどう變へたかがこの本の基底にある關心で、特に第二章のジェームズ・ジョイス論に組み入れられたといふ「書物としての書物」の論が刺戟的だった。活字人間たることを自任する者にとっては、我が事として思ひ當る評言が隨所に見られて、そこが面白い。
 拙文「註(についての註)」に引いた。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/notes/comment.htm

目次 http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624934224

マックス・ウェーバーにおける歴史科学の展開

ミネルヴァ書房 / 2007-07刊 / ¥5,400
讀了:  社会・政治 ★4箇

[投稿日] 2009-10-29

 歴史主義を問題にしたウェーバー自身に歴史主義的考察を適用することによってウェーバー思想の變化(つまりそれも歴史だ)を捉へてゐて、狙ひ所はいい。平明な文章も好感が持てる。ウェーバー屋さんに留まらずに、史的認識論や歴史學方法論に寄與してくれることを期待したい。
 『マックス・ウェーバー 普遍史と歴史社会学』も見ること。
 http://www.sociallibrary.jp/entry/4872622251/

目次 http://www.minervashobo.co.jp/book/b49453.html

挑発としての文学史 (岩波現代文庫)

岩波書店 / 2001-11-16刊 / ¥1,188
 /¥0
讀了: 2009-00-00 評論・文学研究 ★3箇

[投稿日] 2009-10-29

 新規追加の一篇「受容理論――その知られざる前史を顧みて」も含めて、なぜ「期待の地平」とか受容美學とかいふ新たな提言よりも、文學史史(文學史が過去に研究・著述されてきた歴史)を述べた部分の方が面白くて、ためになるのだらう。さう感ずるのは、何も私が歴史的知識が好きな後ろ向きの人間だからばかりではあるまい。譯註と譯者解説は立派だが、日本の讀者の受容状況では(ましてや日文協流では)空回りだったと思はれるのが惜しい。

検閲と文学--1920年代の攻防 (河出ブックス)

河出書房新社 / 2009-10-09刊 / ¥1,296
 /¥0
讀了: 2009-00-00 ノンフィクション ★3箇

[投稿日] 2009-10-29

 大筋として「政治」性に關係づけてゆく論法はノンポリからすると強引さを感ぜざるを得ないが、細部の調べは髙島健一郎論文など以上によく突っ込んであるので、創見が拾へる。多分、これをもっと短縮して物語り化すると目も當てられなくなるだらうが、「はじめに」の問題意識や「あとがき」に記された高杉一郎への共感などによって、さういふ短慮の讀者が出ることは必定か。細部にこそ神は宿るのに……。歴史を取留め無い偶然の集散と見られずに意志や必然の働きを見たがってしまふ所で、難が出る。