[投稿日] 2011-01-14
▼京都書肆変遷史―出版文化の源流
[投稿日] 2009-10-30
▼京都教育大学教授杉村邦彦先生退官記念文集 藤陵春秋
[投稿日] 2017-04-08
見返しに墨書「敬贈/森口隆先生/平成十六年七月十七日/晡下 杉村邦彦」。
魚住和晃「杉村先生と蓮池書院」
兎本恵宥「杉村先生と加茂町の湖南先生顕彰会」
杉村邦彦「楊守敬と松田雪柯・巖谷一六・日下部鳴鶴との交流―『松田雪柯東都日記』を中心として―」
ほか
▼亡友芥川龍之介への告別
[投稿日] 2015-10-09
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1177862?tocOpened=1
著者最後の文藝評論集。
http://tanabe.easy-magic.com/user/index.php?menu_id=5&mode=view_content&news_content_id=25&page=1
▼乾坤の箱
[投稿日] 2016-04-23
「非売品」、「製作 塙書房」、發行者は無記だが慶應義塾停年を機にした自刊らしい。國會圖書館所藏無し。CiNiiにも登録無いが慶應義塾大學三田には所藏。
書名の由來は、「俳人西鶴が「明ては何もなし」と吟んだ、空疎な『乾坤の箱』である」(「はしがき」p.2)。
「先師追憶」中、柳田國男と幸田成友に就ては著作集月報への寄稿の再録を含む。見出しは立ってないものの「先師追想補遺」等には野村兼太郎も回想されてゐる。
自著の「あとがき集」に十篇。
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I030039867-00
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I053892009-00
▼丸山眞男手帖 第六〇号
[投稿日] 2016-08-27
目次 http://www.maruyama-techo.jp/techo/index/year/2011/contents.html#
この雜誌は表紙に大まかな目次しかないのが不便。
「追悼 小尾俊人」はみすず書房側面史になる。
▼中村幸彦著述集〈第2巻〉近世的表現 (1982年)
[投稿日] 2010-06-04
我が關心する圈外文學論を「第二章 俳言とその流れ」に含むも、『中村幸彦著述集 第十五卷』「総索引」の當該項には落とされ第十三卷(「近世圏外文学談」)が採られてゐる。網羅的に拾ひ過ぎた索引が選別に倦ませるからといって取捨が過ぎるのも困りもの。
月報(第一號)は小西甚一と谷沢永一。小西「中世的表現」は時代區分論として中村へ異見を述べた批判になってゐるのだが、つねづね小西中村兩人を贔屓とする谷澤がいづれを是としたのか、ついぞ兩論を突き合せたものを見ない。
Cf. http://d.hatena.ne.jp/okjm/20060403/p1
▼中村幸彦著述集 第13巻 近世世語
[投稿日] 2010-12-20
「世語」と題する通り言葉の考證だが、食生活に關する語彙が多いので實は食物蘊蓄隨筆としても愉しめる。しかし文學史論にとって一番要り用なのは隨筆その他を論じた「圏外文学」の部だ。
目次
http://d.hatena.ne.jp/okjm/20060331/p1
http://snob.s1.xrea.com/t/20060820.html
▼中央史壇 日支關係研究號(第六卷第四號)
[投稿日] 2016-04-23
表1には「四月特別號」、目次では「中央史壇春季特別増大號」とあり。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA85223561
▼中央公論社と私
[投稿日] 2010-09-17
著者の『和田 恒 追悼文集 野分』(私家版、1981)への寄稿にも拘らず、この本で和田のことは觸れる程度であったのは案外だった。和田の病死は高梨茂の部下であったことからくるストレスのためと暴露されてゐる(p.228)。高梨のことをもっと知りたい。上司としてはひどい人格だったらしいが部下ならぬ讀者には知ったこっちゃない、編輯者としては「職人肌」「完全主義」(p.184)で企劃にシブい古本趣味が良く出てゐた。その嗜好のつながりで言ふと、『歴史と人物』編輯時のことに存分に筆を割いて貰ひたかった。本人も「私の中央公論社編集者時代でもっとも充実した三年間」(p.217)と言ふ位だから、『中央公論』や『思想の科学』の内情のことなんかより餘程面白くなりさうに思ふ。内紛や外患による治亂興亡を敍する方がジャーナリズムの需めには合ふのだらうが、本好きにとってそんなに悦んで知りたい事柄ではあるまい。
▼中国目録学
[投稿日] 2011-06-26
元が世界文學全集月報に連載されたものゆゑ、あっさり目でチト物足らぬ。
附論中「紙の発明と後漢の学風」が帛書から紙への移り變りと學藝の進展との關係を推考してをり、メディア論としてやや興あり。
目次 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480836052/
▼中国学(シノロジー)のパースペクティブ 科挙・出版史・ジェンダー
[投稿日] 2010-03-07
目次 http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=3252
▼中国図書文献史攷
[投稿日] 2009-10-29
目次 http://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/000008344716.html
▼中国哲学研究 第五号
[投稿日] 2016-08-07
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4426104?tocOpened=1
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002404420-00
【溝口雄三教授退官記念特集】
▼中国哲学研究 第三号
[投稿日] 2016-08-07
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/4426102?tocOpened=1
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002399063-00
ワープロ組版。雜誌記事索引採録は六號(一九九三年)以降。
中島隆博「どうすれば言語を抹消できるのか?―「言尽意」「言不尽意」をめぐる諸問題―」pp.1-48のみ横書き左開き。
▼中国史学史の研究 (東洋史研究叢刊)
[投稿日] 2011-08-02
八百ページを超す大著。第六部「章学誠と『文史通義』」だけで五章百十ページを費やすが、鋭さが無いので詰まらない。學術書は面白味無くても眞面目に研究してればいいと言ふのなら仕方も無いが、知識滿載なのでもない。代表作と代表的人物だけ取り上げて專門論文にしたのを列ねて著書にするやり方は、雜學多識な内藤湖南『支那史學史』と對照的だ。
見どころとしては、前著『中国の歴史思想――紀伝体考』から引き繼いで『史記』を論じた第二部第一章・第二章か。司馬談・遷父子の秦人たりしことを強調、そこから暴秦論への對抗の意を讀み解くのが創見らしい。
あと、山口久和著もさうだったが、漢文を訓み下し體で引用するのは結構ながら、專門家には當り前の訓み方もあるにせよ、強引に訓み下してあるやうな難訓字にルビを振らずにをるのは、何か、さういふ流儀なのかいな。
目次 http://honto.jp/netstore/pd-contents_0602655979.html
▼中国古籍流通学の確立―流通する古籍・流通する文化 (アジア地域文化学叢書)
[投稿日] 2009-10-30
目次 http://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/000008512349.html
▼中国の文芸思想 (講談社学術文庫)
[投稿日] 2010-09-01
▼中国の図書情報文化史―書物の話
[投稿日] 2009-10-29
[最終更新] 2014-09-29
目次 http://www.tsugeshobo.com/herohtml/book07030912282700.shtml
▼中国と台湾の社会学史
[投稿日] 2015-08-15
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN12602673