[投稿日] 2011-01-28
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1345130
[投稿日] 2011-01-28
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1345130
[投稿日] 2009-11-11
[投稿日] 2010-07-28
一九八九年二月初版。
[投稿日] 2013-06-21
刷ったのは六百部程、増刷三百部豫定と聞いた。
擔當編輯者による河原努「『出版文化人物事典』における人物調査の方法」(金沢文圃閣『文献継承』23號、二〇一三年十月)も見よ。
http://kanazawa-bumpo-kaku.jimdo.com/%E6%96%87%E7%8C%AE%E7%B6%99%E6%89%BF-20%E5%8F%B7%E8%A8%98%E5%BF%B5/
植田康夫評
http://nichigai.blog.shinobi.jp/Date/20130909/
『本の雑誌』二〇一五年六月號、坪内祐三の連載日記が「日外アソシエーツの『出版文化人物事典』はもの凄く読みごたえあるよ」と題して取り上げてゐたが、二年近くこの出版を知らないでゐたらしいのは案外だった。中川六平が立項されてないと難を言ふが、二〇一三年九月五日病歿で刊行時には存命中の對象外であったから、的外れ。
http://www.nichigai.co.jp/cgi-bin/nga_search.cgi?KIND=BOOK&ID=A2417
[投稿日] 2015-09-27
〈日本評論叢刊4〉、「第一刷發行(五〇〇〇部)」。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA47266286
稻村耕雄「序」に自ら曰く、「第三部は今後の出版において、重點となる科學技術に關する書籍雜誌の條件を追求したものである」(p.2)。
著者の大戰中の活躍はブログ『書物蔵』が紹介し、纏めた。
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20050305/p1
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060528/p2
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20080229/p1
書物蔵「カードと分類で大東亜戦争大勝利! :もうひとりの稲村さん、国際十進分類に挺身す」『文献継承』第22GO、二〇一三年四月
http://u.jimdo.com/www400/o/sb368cb4c0c6f5e7c/download/mc4f0247cd9f35266/1412233600/%E3%80%8E%E6%96%87%E7%8C%AE%E7%B6%99%E6%89%BF%E7%AC%AC22%E5%8F%B7%E3%80%8F.pdf
[投稿日] 2009-11-25
[投稿日] 2011-08-02
八百ページを超す大著。第六部「章学誠と『文史通義』」だけで五章百十ページを費やすが、鋭さが無いので詰まらない。學術書は面白味無くても眞面目に研究してればいいと言ふのなら仕方も無いが、知識滿載なのでもない。代表作と代表的人物だけ取り上げて專門論文にしたのを列ねて著書にするやり方は、雜學多識な内藤湖南『支那史學史』と對照的だ。
見どころとしては、前著『中国の歴史思想――紀伝体考』から引き繼いで『史記』を論じた第二部第一章・第二章か。司馬談・遷父子の秦人たりしことを強調、そこから暴秦論への對抗の意を讀み解くのが創見らしい。
あと、山口久和著もさうだったが、漢文を訓み下し體で引用するのは結構ながら、專門家には當り前の訓み方もあるにせよ、強引に訓み下してあるやうな難訓字にルビを振らずにをるのは、何か、さういふ流儀なのかいな。
目次 http://honto.jp/netstore/pd-contents_0602655979.html
[投稿日] 2010-09-07
目次 http://www.minervashobo.co.jp/book/b48627.html
[投稿日] 2014-01-04
この邊が底値か。舊藏機關の藏印あれど篆字解讀できず。
「昭和58年8月25日 第二刷」、卷頭「再刊にあたって」(竹田旦)に「今回は明らかな誤植と学会等所在地の変更に伴う訂正にとどめざるをえなかった」とあり。
[投稿日] 2009-11-25
[投稿日] 2016-08-27
「かむ」(鷲尾龍一・斉木美知世)、以下「たべる」「やる」「ころす」「みる」「きる」「うつ」「ひく」「あらう」。
[投稿日] 2009-10-29
[投稿日] 2010-06-05
[投稿日] 2011-03-11
卷末「注」は小池章太郎。岩波文庫版に優る所以。
[投稿日] 2016-01-10
國會圖書館所藏無し。裸本。
[投稿日] 2010-09-17
著者の『和田 恒 追悼文集 野分』(私家版、1981)への寄稿にも拘らず、この本で和田のことは觸れる程度であったのは案外だった。和田の病死は高梨茂の部下であったことからくるストレスのためと暴露されてゐる(p.228)。高梨のことをもっと知りたい。上司としてはひどい人格だったらしいが部下ならぬ讀者には知ったこっちゃない、編輯者としては「職人肌」「完全主義」(p.184)で企劃にシブい古本趣味が良く出てゐた。その嗜好のつながりで言ふと、『歴史と人物』編輯時のことに存分に筆を割いて貰ひたかった。本人も「私の中央公論社編集者時代でもっとも充実した三年間」(p.217)と言ふ位だから、『中央公論』や『思想の科学』の内情のことなんかより餘程面白くなりさうに思ふ。内紛や外患による治亂興亡を敍する方がジャーナリズムの需めには合ふのだらうが、本好きにとってそんなに悦んで知りたい事柄ではあるまい。
[投稿日] 2011-10-23
12章の支那目録學への關心から店頭で手に取ったら、後半へ行くほど湖南の傳記からも著作からも離れて著者自身の關心する文明論の開陳になってしまってゐる感じ、讀むの止めた。
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1217
[投稿日] 2010-08-07
[投稿日] 2009-10-29
[最終更新] 2014-09-29
[投稿日] 2009-10-29
[最終更新] 2014-09-29
http://d.hatena.ne.jp/uakira/20120416#c1336582180