[投稿日] 2009-10-29
大筋として「政治」性に關係づけてゆく論法はノンポリからすると強引さを感ぜざるを得ないが、細部の調べは髙島健一郎論文など以上によく突っ込んであるので、創見が拾へる。多分、これをもっと短縮して物語り化すると目も當てられなくなるだらうが、「はじめに」の問題意識や「あとがき」に記された高杉一郎への共感などによって、さういふ短慮の讀者が出ることは必定か。細部にこそ神は宿るのに……。歴史を取留め無い偶然の集散と見られずに意志や必然の働きを見たがってしまふ所で、難が出る。
[投稿日] 2009-10-29
大筋として「政治」性に關係づけてゆく論法はノンポリからすると強引さを感ぜざるを得ないが、細部の調べは髙島健一郎論文など以上によく突っ込んであるので、創見が拾へる。多分、これをもっと短縮して物語り化すると目も當てられなくなるだらうが、「はじめに」の問題意識や「あとがき」に記された高杉一郎への共感などによって、さういふ短慮の讀者が出ることは必定か。細部にこそ神は宿るのに……。歴史を取留め無い偶然の集散と見られずに意志や必然の働きを見たがってしまふ所で、難が出る。
[投稿日] 2011-03-06
この手の選集は粒選りの筈だが、それでこれだけ詰まらぬ論が多いってことは……。
[投稿日] 2015-09-27
〈学問の群像シリーズ〉。ジャケット缺。
[投稿日] 2015-09-27
〈学問の群像シリーズ〉。ジャケット缺。
[投稿日] 2011-04-15
目次 http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=10351
[投稿日] 2009-11-16
[投稿日] 2011-01-09
[投稿日] 2010-12-03
「1991年8月20日第5刷」で「あとがき」の裏ページに「追記」として本文への訂正あり、「一九九一年七月初旬」。
本書執筆時の脇圭平の學者らしい變人ぶりが、大塚信一『理想の出版を求めて 一編集者の回想 1963-2003』に描かれてゐる。
[投稿日] 2015-11-15
挾み込み三點、「自由大学雑誌 復刻版 月報」(山野晴雄「解説 自由大学協会の成立」、猪坂直一「自由大学雑誌発行の回想」、「自由大学関係資料目録」)、「「自由大学研究会」会員募集について」、孔版「自由大学研究会 刊行物」。
山野晴雄「自由大学運動の90年-自由大学研究史を回顧して-」大槻宏樹・長島伸一・村田晶子編『自由大学運動の遺産と継承-90周年記念集会の報告-』前野書店、二〇一二年
http://www7b.biglobe.ne.jp/~ningen_ikiru/jiyudaigakuundono90nen.pdf
[投稿日] 2011-01-21
[投稿日] 2011-01-22
附「初出誌紙一覧」(全五卷分)
目次 http://kenkyuyoroku.blog84.fc2.com/blog-entry-218.html
[投稿日] 2010-08-07
[投稿日] 2011-01-21
[投稿日] 2016-01-09
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208546?tocOpened=1
裸本。英學に關はる言葉の話題が多いが、英字紙記者たりし著者らしく初期日本新聞史でもある。中で「貌刺屈の事」は目次でも章題でもこの表記だが、本文中では「刺」と誤植するだけでなく正しく「剌」(ラツ)を以て「貌剌屈」と植字した箇所もあり、即ち、『日新眞事誌』創刊者にして初代快樂亭ブラックの父となるJohn Reddie Blackの傳である。
奧附前ページの舊藏者ペン字書き込みに曰く――。
「Essay エッセイトシテハEnglishニ關心ヲ持チスギル
Study 研究トシテハ興味ニ關心ヲ持チスギル
journalism 新聞記事トシテハ一定[?]ノ目的ガ一貫シテエ[ママ]ル」
著者の「序」末に曰く「此書は、私の從事して來た研究と生活の其の一環を爲すものであるが、此の中に收めたものは創意ある論文でなく、いづれも私の道草である」(p.3)。
[投稿日] 2010-09-11
廣くカバーして色々ぶちこんであるので情報量はあるのだが、その情報の書誌記述などが精密でなく頼りにならず、且つ論理の取っ散らかった頭の惡い文章(文章のことであり、著者の頭腦が愚鈍とは言はない)。問題設定を生かして、誰か書き直してくれ。
[投稿日] 2016-04-23
副題(?)は、背文字に「改訂/増補」、表紙1には「(改訂大増補)」、標題紙では「(改訂増補)」。
一九二四年初版『明治大正 筆禍史』(文行社。CiNii等では四紅社書房だが)からの増補分は、卷頭に芳賀榮造「明治大正昭和改訂増補に際して」・杉村楚人冠「序」・入船勝治「序」、本文に「第六章 赤化運動」「第七章 怪文怪書」、卷末に村井篤美「跋」。入船勝治は發行者。本文の追加二章だけでpp.209-330(ノンブルを380と誤植)を占める大増補。
Cf. http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/982604/5
裸本。鉛筆による修正書き込みあり。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN1035634X
[投稿日] 2009-10-29
[投稿日] 2015-05-09
特輯名、原文ママ。正字ならば「學舍」とあるべき表記が「學舎」なのは、表紙でも目次でも本文でも一貫して誤ってゐる。
執筆者は千葉縣下の中學・高校教諭が目立ち、教育者の説教臭い精神主義は鼻持ちならぬ。卷末に「調査」として「藩校一覽」「藩校の讀本」等を備へるのが有用。
挾み込み三葉、「月曜評論 平成元年10月30日 第979号」「あらたま第二十七號評(到着順)」「國語の復權 豐源太著」。舊藏印「藤田豊藏書」。
[投稿日] 2015-05-09
年二回刊。挾み込み二點、『同胞各位に訴へる(その七)』(一九八三年十月)『仝(その八)』(一九八四年十月)。舊藏印「藤田豊藏書」。
特輯が四部より成るうち「批判」「研究」「實踐」は無用なるも「文獻」が保守派國語國字問題論のブック・ガイドとして有意義。
[投稿日] 2016-11-12
目次 http://blog.livedoor.jp/soshikai/archives/557639.html