國家學會雜誌 第八十三巻第一・二号

国家学会事務所 / 1970-05-15刊 / ¥450
購入: 2016-01-10  /¥100
未読 人文・思想

[投稿日] 2016-01-10

 有斐閣發賣。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2695697?tocOpened=1
碧海純一「科学的認識と価値判断についての覚えがき――佐々木毅助教授の批判に答える――」
国家学会八十周年記念論集(四)三谷太一郎「吉野作造の明治文化研究」
ほか
 三谷論文については、三谷著への木庭顕の評「知性の尊厳と政治の存亡――三谷太一郎『人は時代といかに向き合うか』(東京大学出版会、二〇一四年)」(『UP』二〇一四年十二月號)を踏まへて關心あり。
http://www.sociallibrary.jp/entry/B00R6H6SEC/

父京助を語る 補訂

教育出版 / 1986-05刊 / ¥1,404
購入: 2011-03-26  /¥200
讀了: 2011-04-03 文学・評論

[投稿日] 2011-03-26

 身贔屓にならず學者としての難點を批評してある部分もあるのが、讀みどころ。
 「このころ[敗戰後]はとっくに進歩はとまっていた。一体父の書いたもので、学界の先端を行っていたものはいつごろまでのものかというと、昭和六年の『ユーカラの研究』、昭和十三年の『新訂国語音韻論』あたりまでで」……(p.149)。生前にあった知里眞志保や小林英夫からの批判も見るべきだらう。
 「思うに父の頭の中には、[……]絶対に疑ってはならない神聖な信条が幾つかあったようである。[……]/それらは、強い感情の裏付けをもっていたので、言葉に表すときには、激しい語調を伴った。感情が裏付けになっているだけに、冷静にすきをつかれて反論されると、たわいなかった。[……]福田恆存氏とやりあって衆目を集めた仮名遣い論争の時など、その例である」(p.29)。「父は、日ごろ自分の好きなものはイコールよいもので、自分の希望することはイコール正しいことだという哲学をもっていた。[……]/学問の上でもこの行き方が現れることがあって、敬語は美しい、と考えることから、敬語のあることは日本語の長所であると判断する類である。こういうことは文学研究には、かならずしも邪魔にならないとしても、言語学の研究には大分有害だったと思われる。父が言語学者として、とにかく一流の人になれたというのには、友人に、橋本進吉博士のような、純粋に客観的に物を見ることができる、理性的な学者がいて、その風に親炙したおかげだと思う」(p.69)。

季刊d/sign デザイン no.18

購入: 2010-11-20  /¥0
未読 アート・建築・デザイン

[投稿日] 2010-11-20

http://www.ohtabooks.com/publish/2010/10/16000000.html

歴史社会学とマックス・ヴェーバー〈上〉歴史社会学の歴史と現在

理想社 / 2003-03刊 / ¥3,024
讀了: 2011-05-16 社会・政治

[投稿日] 2011-05-16

 佐藤健二「柳田国男の歴史社会学」は既往の讀者にとっては新味無し。田中紀行「現代日本における歴史社会学の特質」の、日本では日本史研究者が社會史を近現代でやらないからその空白を埋める意味で歴史社會學と稱して社會學者が代ってやってしまふといふ指摘(p.170)は、言はれてみれば妙な分業關係ではある。しかしこの『(上)』を見る限りウェーバーは名目だけといふ感じだ。國際會議にありがちな中身薄い寄せ集め。下卷は見送り。

目次 http://honto.jp/netstore/pd-worklist_0602296077.html

輸入学問の功罪―この翻訳わかりますか? (ちくま新書)

筑摩書房 / 2007-01刊 / - /
購入: 2011-07-30  /¥200
讀了: 2011-07-31 哲学・思想

[投稿日] 2011-07-30

 對象は專らドイツ哲學で、從って(?)日獨の教養主義批判でもある。が、新刊當初に立ち讀みで目を着けた時ほど面白く思はれなかった。新しく啓發されるところが少ない。買はずとも借覽で濟ませればいい本だったかも。

幽霊記 (新人物往来社文庫)

新人物往来社 / 2010-07-07刊 / ¥720
ウィッシュ 文芸作品

[投稿日] 2010-06-23

1.森 【2010-06-22 9:0】
表題作「幽霊記 小説・佐々木喜善」 は第98回(1987年下半期)の直木賞候補作の由。同じく三好京三の小説『遠野夢詩人』も1987年初刊だったのは偶然なりや。

2.kamiyam 【2010-06-24 9:0】
私の読書記録コメントに挙げたサイトを作成した人物のブログ記事に「「幽霊記」(副題は小説・佐々木喜善)が発表された昭和62年/1987年ごろは、岩手の辺りから、どんどんと佐々木喜善再評価の熱が上昇していたときでもありました(たぶん)」とあるようですが(中国からcocolog閲覧ができないので、Googleで表示されたとこだけ)、それが本当だとして、「佐々木喜善再評価」ってのが具体的にどんなもので、何をきっかけに起こったものなんでしょうかね。http://www.naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/70098-c69b.html
室井康成によると、1980年に遠野市立博物館が作られ、1987年に遠野常民大学が発足するなど、80年代に「遠野市民による『遠野物語』の“読み直し”作業が具体化」したそうですが、それが長尾や三好の創作に影響を与えているのかどうかは?室井康成「『遠野物語』をめぐる“神話”の構築過程—その民俗学史的評価へ向けての予備的考察—」(『総研大文化科学研究』第4号、2008年3月)
http://www.initiati

支那学入門書略解 (1945年)

竜文書局 / 1945刊 / - /
購入: 2011-10-09  /¥550
未読 古書

[投稿日] 2011-10-09

 一九四〇年七月初版、一九四五年十月三版。後に新訂補修版一九四八年六月文求堂書店刊ありて『長澤規矩也著作集 第九卷 漢籍解題一』に收む。

目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1914605

増訂 和漢古書目録法

一誠堂 山本書店 大安 / 1966-11-00刊 / ¥250
購入: 2017-03-04  /¥300
未読 本・図書館

[投稿日] 2017-03-04

目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1873177

 卷頭目次に無いが95ページ以下に「一 参考文献目録」「二 古文献について」を附し、一九六〇年九月私刊初版が93ページなればそこからの増補分か。
Cf. http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001013031-00
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA71929732
 奧附には「昭和四十一年十一月修」とあって日附無し、發行所標記無く「頒布所 一誠堂・山本書店・大安」。書名表記は背文字では『(増訂)和漢古書目録法』。長澤規矩也著作集に收めず。
 「長澤規矩也著作目録」(『長澤規矩也著作集 別巻』p.14)には「増刷數次、その際象眼。「増訂」と角書したものを出し、五〇・五、五二頁組替。「新編」と角書して、汲古書院出版」と註記す。
 『新編和漢古書目録法』汲古書院一九七五年刊は103ページに減る。
 http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN01869820
 http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN01041508
 http://www.kyuko.asia/book/b9143.html

清末の中国小説

栄光堂印刷出版部 / 1978-02-01刊 / ¥1,800
購入: 2016-02-09  /¥200
未読 文学・評論

[投稿日] 2016-02-09

 發行地が沖繩市なので見掛けない。國會圖書館所藏無し。
 「序」は内田道夫。卷末「付録」は「阿英著作一覧」「固有名詞索引」(p.247-323)、後者は「中島利郎はじめ関西大学中国文学研究室」の提供にて排列が漢語拼音順。
 翌一九七九年に飯塚朗・中野美代子譯『晩清小説史』(〈東洋文庫〉平凡社)が出て通行。

 http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN08922987

梁啓超とジャーナリズム

芙蓉書房出版 / 2009-05刊 / ¥6,156
讀了: 2011-08-03 社会・政治

[投稿日] 2011-08-02

 組版がお粗末なのは版元の所爲にしても、文章のテニヲハがひどい。序文を寄せた師の田村紀雄はじめ有山輝雄香内三郎その他東京經濟大學の先生方は誰も親身に日本語作文指導をしてあげなかったのか? 全部讀み通す氣を無くした。
 事實は澤山調べてゐるやうなのだが、考論は新見に乏しい。一番の目當てである「【補遺二】梁啓超の目録学思想について――分類における虚実関係の変遷に関する考察」を見ても、『西學書目表』における學・政・教の三類についての分析(p.314)は、井波陵一「六部から四部へ――分類法の変化が意味するもの」(冨谷至編『漢字の中国文化』昭和堂、2009.4)が同書を論じたのに比して見劣りがし、理解の淺さを思はせる。
 大體ジャーナリズムと言ふが、これでは木鐸記者の政論ジャーナリズムでありすぎる。天下國家を大言壯語するジャーナリズムでさへ、根は場當りで時好に投ずるいい加減なものなので、梁を「融通の利く性質が彼の長所であるが弱点でもある」(p.108)と評するならば、さういふジャーナリストの性格として解すべきではなかったか。

目次 http://www.fuyoshobo.co.jp/book/b101002.html