綜合文化雜誌 ペン 創刊號

三笠書房 / 1936-11-01刊 / - /
購入: 2015-07-25  /¥200
未読 人文・思想

[投稿日] 2015-07-25

 所藏機關は國會圖書館・神奈川近代文學館・日本近代文學館・明治新聞雜誌文庫・立教大學くらゐ、やけに少ない。
 恰も『科學ペン』(三省堂)が前月創刊、日本ペンクラブが一年前の一九三五年十一月設立だが、便乘か。志波宗一郎(本誌記者)「狂人と語る――武藏野腦病院探訪記」p.143には「いや、ペン俱楽部とは別でして」と見える。中岡宏夫「反古帖」(p.163)に「縁あつて、かういふ雜誌の編輯をすることになつたが、何分ズブの素人である上に、年齒若輩」云々とあり。中岡はのち牧野吉晴を初代編輯長とする『文藝日本』(文學と美術社、一九三九年六月號~)の創刊同人にも參加、「法政大学教授片山敏彦の門下だが、誰との人間関係で加わっているかは不明」とされるが(都築久義「「文芸日本」について」『淑徳国文』26、一九八四年十二月、p.238)、本號「美術時評――云はねばならぬこと――」が牧野吉晴執筆なので縁故はここに遡ると知れる。
 Cf. http://hdl.handle.net/10638/4097
 http://jairo.nii.ac.jp/0192/00000844
 後繼誌は『綜合文化雜誌 讀書界』(三笠書房、一九三七年五月~)。これも稀覯。
 http://ci.nii.ac.jp/ncid/AA11711709
 「父を語る」とて、内田魯庵・芥川龍之介・石川啄木・夏目漱石について回顧文が四篇。内田巖「父魯庵と趣味生活」が面白い。なほ『中岡宏夫小説集 白像』(學藝社、一九四〇年)の裝丁も内田巖である。

目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1890343?tocOpened=1
http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/24624502.html

絵を読む文字を見る (アジア遊学)

勉誠出版 / 2008-05刊 / ¥2,160
購入: 2010-10-16  /¥800
未読

[投稿日] 2010-10-16

109號「特集 絵を読む文字を見る 日本文学とその媒体」、小宮山博史・府川充男・家辺勝文ら印刷史研究者が寄稿。
目次 http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=10360

紙魚放光 尾上蒐文洞古希記念

浪速書林内 詠品会 / 1981-03-02刊 / ¥3,800
購入: 2015-12-26  /¥1800
未読 本・図書館

[投稿日] 2015-12-25

 「限定五百部」。國會圖書館所藏無し。
 蒐文洞は尾上政太郎、戰災で店を失ってからは天牛書店の大番頭。「製作 南柯書局」、「編集は悉く南柯書局渡邊一考さんの労を煩せました」と梶原正弘「あとがき」にあり。「詠品会」は「大阪弁の「ええ本買い」を捩ったもの」とも。
 『紙魚放光 続』の方が稀少で古書價も高値。
Cf. http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1944578716&owner_id=8175386

筑波大学東西言語文化の類型論特別プロジェクト研究成果報告書 平成13年度 別冊 基本動詞の多言語比較研究~日中韓英独仏語の分析~

筑波大学「東西言語文化の類型論」特別プロジェクト研究(特別プロジェクト長 鈴木英一) / 2002-03-01刊 / - /
購入: 2016-08-27  /¥250
未読 言語学

[投稿日] 2016-08-27

「かむ」(鷲尾龍一・斉木美知世)、以下「たべる」「やる」「ころす」「みる」「きる」「うつ」「ひく」「あらう」。

章学誠の知識論―考証学批判を中心として (創文社東洋学叢書)

創文社 / 1998-03刊 / ¥8,640
購入: 2014-02-22  /¥2750
讀了: 2011-07-21 人文・思想

[投稿日] 2011-07-20

 章學誠論としては當然なのかしれないが『文史通義』の解讀に專らで、『校讎通義』が殆ど出て來ず目録學にまるで觸れないのは期待と違った。最終章「章学誠のテクスト論」が哲學的な解釋學になってしまったのは(實際、卷末英文目次だと「テクスト論」に當る部分がHermeneuticsである)、その所爲もありはしないか。「思想家章学誠像と歴史家章学誠像とを止揚」(p.6)と言っても、これではあまりに哲學者であり過ぎる――史學者であるからには資料論があらうに。或いは、それは章實齋先生とて不足で讀者が補ふべきものなのだらうか。
 從來の儒者像と「学者(scholar)」との別を説きて輕輩で政治參加の途無き章氏を後者と見るは宜なり。されど學問のための學問と化せる清朝考證學への批判者とせむには、いささか不整合ならずや。章學誠の言ふ「經世」や「義理」の語は宋學に藉りたるも換骨奪胎、既に道徳臭を脱せりと説くは卓見なるべし。されどなほ研究主體の「倫理」を求むるは如何はし。考據學を後ろ向きの知識、藏往の學と難じて、現在・未來志向の知來之學を唱へたりと云ふ。されど史學は前言往行を考論する後ろ向きの學問なるを如何せむ。最後の點、島田虔次の章學誠論「歴史的理性批判――「六経皆史」の説――」(『岩波講座哲学 4 歴史の哲学』一九六九年)にても解説不足なりき。理性の歴史的な批判ではなく、歴史主義の思考である「歴史的理性」の批判=吟味であってこそ「考証学を越ゆべきことの哲学、同時に考証学の哲学」と呼べよう。
 同著者による論文「近代の予兆と挫折――清代中期一知識人の思想と行動――」「立身出世の階梯を諦めた人々――章学誠の"紹興師爺"像を中心に――」も併せ讀む。
 http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/2006/data/0502shanghai.htm
→ http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/archives/2276
 http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il4/meta_pub/G0000007repository_111E0000014-9-6

博士論文目次 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002003426-00#