口語辞典―Hanasikotoba o hiku Zibiki (1940年)

口語辞典出版会 / 1940刊 / - /
購入: 2011-09-10  /¥200
読中 古書

[投稿日] 2011-09-10

 初版は一九三九年、昭和十五年八月第二版を購入。類本の無い現代語における雅俗辭典として、柳田國男『老讀書歴』所收の書評を讀んで以來ずっと探してゐたもの。それを含めた第一版への批評に對する反駁が、この第二版卷頭の「Nidomeno Suriを出すについて」に述べられてゐるのがまた愉しい。いづれ一九五一年版も安く見つかりますやうに。

操觚字訣―同訓異義辞典 (1980年)

名著普及会 / 1980-05刊 / - /
購入: 2011-09-04  /¥0
読中 古書

[投稿日] 2011-09-04

 須原屋書店明治三十九年十月再版→明治四十年十一月七版を入手。
 伊藤善韶(東所)序が寶暦十三(一七六三)年、刊本が出たのはやっと明治十二年(~十八年)だが、五十音順排列は稿本通りだったのだらうか。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902815/418

国史の研究〈〔第1〕〉総説 (1947年)

岩波書店 / 1947刊 / - /
購入: 2011-09-04  /¥250
未読 古書

[投稿日] 2011-09-04

 購入せるは『更訂 國史の研究 總説』昭和六年八月第一刷。のち昭和十六年六月第九刷で「附録 自昭和六年至昭和十五年 國史公刊目録」(pp.501-531)を増補し、一九四七年に第十二刷を刊行してゐるのが別書誌の扱ひ。
 http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000868564/jpn
 http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN15306677
 この更訂初版は本文に續けて卷末奧附前に「正誤表」三ページ分(ノンブル無し)を附載するが、うち二ページ目最後尾から三ページ目初頭にかけて三行續けてを赤線で抹消したものが賣られてゐたのを見た。しかし我が架藏本はその三行分を削除して前に詰めてある。即ち、正誤表で二ページ目、「頁」番號が二四八の行と二五四の行の間が無かったことになってゐる。それだけ三ページ目は行數が減って、不自然に前の方が空いてゐる。明らかに正誤表のページだけ版が異なるのだが、しかし奧附刊記は兩册とも全く同じで差異がない。隱れた異版があるといふわけだ。抹消された三行で指摘された箇所は、望月信亨→信享とするのが二箇所、狩谷棭齋→掖齋とするのが一箇所、いづれもむしろ本文のままが正しかったから、抹消されたのは適切である。いま國會圖書館藏本を近代デジタルライブラリーで確認すると、何と、正誤表が無い。その代り、本文の該當箇所はペンで修正してある。しかし抹消分三箇所は反映されてないから、三行抹消版正誤表に基づくらしい。尤も修正漏れもある(二四八ページ)から、斷言はできないが。
Cf. http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1075909/28
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1075939/164
 内容は、「第二章 補助學」等が目當て。

日本の心理学 (1982年)

日本文化科学社 / 1982-02刊 / ¥6,480
購入: 2011-09-04  /¥500
未読 古書

[投稿日] 2011-09-04

 『日本の心理学』刊行委員会編。「第四編 城戸幡太郎先生の学風と業績」があり、城戸の八十歳祝賀記念論文集として企劃されながら遲れて米壽記念になったといふ代物。第一編「2 わが国心理学界の諸先達」といふ列傳が目當て。

現行法律語の史的考察 (1930年)

万里閣書房 / 1930刊 / - /
購入: 2011-09-04  /¥350
未読 古書

[投稿日] 2011-09-04

 「序」で自ら名を出してゐるやうに、これは或る意味、日本のグリムである(堅田剛のグリム論に曰く「歴史と法と言語のトリアーデ」)。しかしそれ以外は世界的に見ても類本が無いことはこれまた自序に述べる通りなのだらう。法律語とは思へない「ちやきちやき」だの「手を燒く」だの「厄介」だのいふ俗語も入ってゐるのを見ると、嬉しくなってしまふ。佐藤喜代治編『語彙研究文献語別目録 講座日本語の語彙別巻』(明治書院、一九八三年十一月)にも採られてないが、國際日本文化研究センターの『日本語語彙研究文献データベース』で「収録した研究書及び辞書類など」には擧げられてゐる。しかしそれで檢索すると、「ちゃきちゃき」でも「手を焼く」でも「厄介」でもヒットしないのは何としたこと。いづれも第二章第二款第二項第二目第一節「四、普通語となる離脱」に取り上げる語だが、前後の節(の下の單位だが、何と呼べばよいのか)からは拾ってある所を見ると、どうもこの部分だけ故意に採録してないやうだ。一體どういふわけだ、近代語彙ではないからなのかと、小一時間問ひ詰めてやりたくなる。
 Cf. http://gainen.nichibun.ac.jp/main/book

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1281179/184
http://home.q02.itscom.net/tosyokan/itadura.htm