[投稿日] 2010-12-11
「雑芸・娯楽編」と中黒を插むのは題扉のみ、他は外函・背文字・表紙みな「雑芸娯楽編」。中黒入りを採るのは國會圖書館の記述。
[投稿日] 2010-12-11
「雑芸・娯楽編」と中黒を插むのは題扉のみ、他は外函・背文字・表紙みな「雑芸娯楽編」。中黒入りを採るのは國會圖書館の記述。
[投稿日] 2010-12-11
[投稿日] 2011-03-04
目次 http://www.yubun-shoin.co.jp/book/book_detail/4-8421-0069-9.html
[投稿日] 2016-06-04
書名は、函と本體の背文字にのみ「(隨筆集)」と添へる。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1684666?tocOpened=1
[投稿日] 2015-09-19
「昭和拾參年七月八日再版發行」。副題「昭和十三年版隨筆集」は函・表紙・奧附に無く標題紙にのみあり。函の背と表では書名に小書きにて「隨筆」と冠稱す。卷末廣告「相模書房刊行書目録」に據れば「著者自裝/特染細布表紙」。卷末「作品年譜」は初出一覽を年月順排列にせるもの。舊藏印あり「千秋文庫」。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1261886?tocOpened=1
『里見弴全集 第十卷』(筑摩書房、一九七九年四月)にては本書四十一篇中より「青春回顧」「先生」「志賀君との交友記」「友達福者」「友田君」六篇を採るのみ。
http://kenkyuyoroku.blog84.fc2.com/blog-entry-550.html
[投稿日] 2009-11-17
[投稿日] 2009-11-17
[投稿日] 2009-11-17
[投稿日] 2015-02-15
卷頭獻辭「此書を虔んで/宮島新三郎君の靈前に獻じ/友誼の微忱を表す。」――著者(一八九二年生・一九三四年歿)は木村毅・柳田泉の學友ではあったが、後年の回想を見ると兩者からの學問的評價は低い。本書末の柳田泉「附言」にも曰く、「それにしてはその基礎を實證的に今少し固めるべきであつたのだ」……。又曰く「僕は校訂の任に當つたが考ふるところがあつて、一二事實の誤謬や文字の誤謬を訂正した外は、殆んど全部宮島君の書いたまゝにして置いた」。
收録四篇中「日本文學に及ぼしたる西洋文學の影響」には「――主として批評文學について――」と副題あり。「批評中心といふので、自ら明治批評史となつてゐる、これは短い割合に纏つて居り、文章にも光彩があり、宮島君の興味の集中されてゐた問題だけに、「君ならでは」といひたいものがある」(柳田泉「附言」p.202)。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1236355
[投稿日] 2010-10-16
自著・自論文の參照が註に多く、これまでの研究を一般向けに噛み碎いた感じ。確かにこの本から遡って讀めば『公共圏の歴史的創造』も解りやすくなる。しかし大事なところは專門論文に讓ってしまった感じも與へる。併讀せざるを得ないのか。
だが、近代性をターゲットにする著者の問題設定からすれば、中世史よりも、もっと近世乃至初期近代に踏み込んでよいのでないか。出版と讀書革命とを扱ふ終章をむしろメインとして貰ひたくなる(これは中世人に同情の無い、あまりに近代讀者の讀後感に過ぎるかも)。
中々さうならないのは、中世史に於る程の研究や論爭の蓄積された厚みが無いからだらうか。實際この本は、戰後歴史學における中世史研究の學史・研究史論としても讀めるところが取り柄でもある。
目次 http://blog.livedoor.jp/ppdwy632/archives/51477192.html
[投稿日] 2010-12-10
[投稿日] 2009-10-29
[投稿日] 2012-07-27
[投稿日] 2015-06-14
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1686531?tocOpened=1
[投稿日] 2011-01-20
[投稿日] 2011-03-11
[投稿日] 2016-12-04
國會圖書館所藏無し。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA40932200
[投稿日] 2009-11-14
目次 http://homepage3.nifty.com/douseisha/rekisi/kinngenndai/sousyo/sousyo.html#g10
[投稿日] 2011-03-12
[投稿日] 2010-08-14
目次 http://www.miyaishoten.co.jp/main/003/3-11/toono21-1.htm