性文学入門 (1969年)

雄山閣出版 / 1969刊 / ¥1,620
購入: 2011-03-27  /¥200
未読 古書

[投稿日] 2011-03-27

 函・本體含め中扉のみに「〈江戸期庶民文学と艶本〉」と副題、實際「物語文学と咄本」等の章あって春本以外も扱ふ。貼り奧附に「昭和五拾弐年拾月弐拾五日発行」とあるが初版「昭和四拾四年参月拾五日発行」が正しく、この僞裝に合せて「まえがき」末の「一九六九年三月」と記した行を削り消した痕跡を殘してゐる。その後も發行年月を詐稱した版があるか。改題新裝『江戸時代 好色文芸本事典』一九八八年刊。

http://www.geocities.co.jp/Bookend/6562/sex/nyumon.html

史的言語学における比較の方法 (1977年)

みすず書房 / 1977-10刊 / ¥1,728
購入: 2011-03-27  /¥200
讀了: 2011-03-28 古書

[投稿日] 2011-03-27

 あとで、マルク・ブロック『比較史の方法』と對照しながら再讀すること。特に地理學的比較と蓋然性の問題の二點。

シンポジウム日本文学〈11〉幕末の文学 (1977年)

学生社 / 1977-03刊 / ¥2,052
購入: 2011-03-27  /¥300
讀了: 2011-04-03 古書

[投稿日] 2011-03-27

 神話論的發想から語る松田修が馬鹿に見えてしまふ、大咄のやうで。橋川文三は呼ばれた意味が餘り無い。野口武彦が基調報告の「変革期の儒者・文人像」の章が、芳賀徹・富士川英郎とも噛み合ってゐるし、一番興味を惹く。前田愛の『幕末・維新期の文学』も再讀しよう。

国立国会図書館月報 2011年 03月号 [雑誌]

日本図書館協会 / 2011-03-25刊 / ¥540
購入: 2011-03-26  /¥0
讀了: 2011-03-27 雑誌

[投稿日] 2011-03-26

 鈴木宏宗「国立国会図書館の和図書」の藏書構成の歴史、及び「600号を迎えて」は一讀の價値あり。
 PDFでは無償配布されてゐる。
http://www.ndl.go.jp/jp/publication/geppo/pdf/geppo1103.pdf

http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_3050791_po_geppo1103.pdf?contentNo=1

歴史学 (ヒューマニティーズ)

岩波書店 / 2009-05-26刊 / ¥4,704
購入: 2011-03-26  /¥400
讀了: 2011-03-27 歴史・地理

[投稿日] 2011-03-26

 余は如何にしてメディア史研究者となりしか、を綴る自傳的構成。その個別例を以て歴史學一般の問題にどこまで迫れたかが肝要だが……。すらすら直ぐに讀み了へられ達意の文である分だけ、あまり理論的考察に踏み込めないのは、この輕い叢書の性格上已むを得まい。
 この本で論じ切れてない問題を引き取ると、著者が擧げる「宣伝」「公共性(圏)」「国民化」の接眼レンズ三點セットよりも重要なのは、「私はどれだけ大衆なのか」(p.71)といふ問ひと見た。大學大衆化に抗する「フンボルト理念」を創られた傳統と承知の上で信奉すると言ふが(p.10)、單なるエリート教養主義でなしに現在のマンモス大學や大學外の大衆社會でその理念は果して實踐し得るのか。享樂を好む大衆性は一面でアカデミズムに對するディレッタンティズム(pp.67-68)にも繋がるし、「社会史ブームは、[……]歴史学の印象を非政治的な雑学趣味にしてしまった」(p.29)といふ事態の底には歴史學徒さへももはや「政治的人間である「市民」」(p.29)から大衆に化したといふ社會状況があるのではないか。また世俗の垢に泥んだ大衆からすれば、鈴木庫三が「野蛮な軍人」ではなく「生真面目過ぎるほどの情熱」を持った「教育改革」の提唱者であったといふ發見(pp.87-88)は、鈴木を免罪するよりは寧ろそんな糞マジメだからこそ端迷惑な惡果を生じたといふ見方になるべきではないか。
 「ひょっとするとディレッタントは誉め言葉だったのかもしれないが」(p.67)……否、蔑稱だったとしても、その價値判斷を逆轉すべきなのだ。佐藤卓己には、自分の長所がオモシロガリズムにあることを忘れないで貰ひたいものだ。

目次 http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0283220/top.html

父京助を語る 補訂

教育出版 / 1986-05刊 / ¥1,404
購入: 2011-03-26  /¥200
讀了: 2011-04-03 文学・評論

[投稿日] 2011-03-26

 身贔屓にならず學者としての難點を批評してある部分もあるのが、讀みどころ。
 「このころ[敗戰後]はとっくに進歩はとまっていた。一体父の書いたもので、学界の先端を行っていたものはいつごろまでのものかというと、昭和六年の『ユーカラの研究』、昭和十三年の『新訂国語音韻論』あたりまでで」……(p.149)。生前にあった知里眞志保や小林英夫からの批判も見るべきだらう。
 「思うに父の頭の中には、[……]絶対に疑ってはならない神聖な信条が幾つかあったようである。[……]/それらは、強い感情の裏付けをもっていたので、言葉に表すときには、激しい語調を伴った。感情が裏付けになっているだけに、冷静にすきをつかれて反論されると、たわいなかった。[……]福田恆存氏とやりあって衆目を集めた仮名遣い論争の時など、その例である」(p.29)。「父は、日ごろ自分の好きなものはイコールよいもので、自分の希望することはイコール正しいことだという哲学をもっていた。[……]/学問の上でもこの行き方が現れることがあって、敬語は美しい、と考えることから、敬語のあることは日本語の長所であると判断する類である。こういうことは文学研究には、かならずしも邪魔にならないとしても、言語学の研究には大分有害だったと思われる。父が言語学者として、とにかく一流の人になれたというのには、友人に、橋本進吉博士のような、純粋に客観的に物を見ることができる、理性的な学者がいて、その風に親炙したおかげだと思う」(p.69)。