中国史学史の研究 (東洋史研究叢刊)

京都大学学術出版会 / 2006-03刊 / ¥9,180
讀了: 2011-08-02 歴史・地理

[投稿日] 2011-08-02

 八百ページを超す大著。第六部「章学誠と『文史通義』」だけで五章百十ページを費やすが、鋭さが無いので詰まらない。學術書は面白味無くても眞面目に研究してればいいと言ふのなら仕方も無いが、知識滿載なのでもない。代表作と代表的人物だけ取り上げて專門論文にしたのを列ねて著書にするやり方は、雜學多識な内藤湖南『支那史學史』と對照的だ。
 見どころとしては、前著『中国の歴史思想――紀伝体考』から引き繼いで『史記』を論じた第二部第一章・第二章か。司馬談・遷父子の秦人たりしことを強調、そこから暴秦論への對抗の意を讀み解くのが創見らしい。
 あと、山口久和著もさうだったが、漢文を訓み下し體で引用するのは結構ながら、專門家には當り前の訓み方もあるにせよ、強引に訓み下してあるやうな難訓字にルビを振らずにをるのは、何か、さういふ流儀なのかいな。

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梁啓超とジャーナリズム

芙蓉書房出版 / 2009-05刊 / ¥6,156
讀了: 2011-08-03 社会・政治

[投稿日] 2011-08-02

 組版がお粗末なのは版元の所爲にしても、文章のテニヲハがひどい。序文を寄せた師の田村紀雄はじめ有山輝雄香内三郎その他東京經濟大學の先生方は誰も親身に日本語作文指導をしてあげなかったのか? 全部讀み通す氣を無くした。
 事實は澤山調べてゐるやうなのだが、考論は新見に乏しい。一番の目當てである「【補遺二】梁啓超の目録学思想について――分類における虚実関係の変遷に関する考察」を見ても、『西學書目表』における學・政・教の三類についての分析(p.314)は、井波陵一「六部から四部へ――分類法の変化が意味するもの」(冨谷至編『漢字の中国文化』昭和堂、2009.4)が同書を論じたのに比して見劣りがし、理解の淺さを思はせる。
 大體ジャーナリズムと言ふが、これでは木鐸記者の政論ジャーナリズムでありすぎる。天下國家を大言壯語するジャーナリズムでさへ、根は場當りで時好に投ずるいい加減なものなので、梁を「融通の利く性質が彼の長所であるが弱点でもある」(p.108)と評するならば、さういふジャーナリストの性格として解すべきではなかったか。

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