[投稿日] 2015-06-06
成城大学民俗学研究所柳田文庫蔵「諸国叢書」目録
ほか
目次
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00237051/ISS0000069726_ja.html
http://www.seijo.ac.jp/minken/kankou/minzoku.html
[投稿日] 2015-06-06
成城大学民俗学研究所柳田文庫蔵「諸国叢書」目録
ほか
目次
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00237051/ISS0000069726_ja.html
http://www.seijo.ac.jp/minken/kankou/minzoku.html
[投稿日] 2015-06-06
高橋治「柳田國男の帝国農会寄贈図書――調査報告並びに若干の考察――」pp.57-82.
松崎憲三「柳田民俗学の神髄――民俗学研究所の公開講演会(記録)から――」pp.111-127.
後者は「柳田国男研究関係文献目録」(吉井勇也擔當、1964年~2007年5月、pp.119-127) を含む。
目次
http://www.seijo.ac.jp/minken/kankou/minzoku.html
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00237051/ISS0000420205_ja.html
[投稿日] 2011-01-22
[投稿日] 2015-04-25
「特集=江口渙追悼」
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7973533?tocOpened=1
[投稿日] 2010-09-26
[投稿日] 2010-12-19
アントワーヌ・メイエ『史的言語学における比較の方法』を引いて比較に二種類あると概念分けしたところは、比較文學で論爭になった一般文學(廣義の比較文學)か比較文學(狹義)かといふ問題に相似する。しかし、比較文學はフランスが本場だったといふのに、ブロックは勿論ページ數の半ばを占める譯者解説も參照してない。逆に、比較文學論でメイエやブロックを引いたものも管見に入らない。またブロックが比較二種のうち前者についてフレイザー『金枝篇』を例に出してゐる通り、民俗學・人類學・神話學にとっても他人事ではない筈。カルロ・ギンズブルグ『闇の歴史 サバトの解読』に於るフォークロア的比較法の導入に伴ふ問題點は上村忠男『歴史家と母たち』の特に論ずるところであったが、あれもブロックは引證しても比較文學までは取り上げてない。惟ふに、言語・歴史・文學・民俗・生物學その他多領域に跨がった一般比較方法論が考へられてよい。といふか、誰か書いてゐてもよささうだが……これ以上、比較文學研究史とか調べるのは門外漢には面倒臭い。
[投稿日] 2015-08-22
非賣品。標題紙でのみ書名に「喜多壮一郎遺稿集」と冠し「母校 早稲田」と二語の間をやや空ける。
早稻田大學私史を試みたもの、師友回想などを插む。
國會圖書館所藏無し。
題字・中村宗雄
序に代えて――わたくしの立場――
目次
第一章 早稲田学園の誕生――理想と苦しみ――
第二章 学園における最初の紛争――法律科の内紛――
第三章 早稲田「三博士」と初期の卒業生群像
第四章 雄弁会の歴史
第五章 校友会・講義録・寄宿舍
第六章 「早稲田大学」の学生々活
第七章 早稲田騒動
第八章 科外講演
第九章 なつかしの思い出
あとがき 酒枝義旗
おわりに 甲野善勇
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA39062032
[投稿日] 2009-11-25
目次 http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-010104-2.html
[投稿日] 2010-07-11
[投稿日] 2016-10-29
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7940516?tocOpened=1
挾み込み一葉、『赤旗』一九七六年十月五日掲載犬丸義一「“継続は力なり” 歴史評論 ――創刊三十周年記念号によせて」切拔き。
布村一夫「近代神話学の樹立と集成(上)――奝然が献上した『王年代紀』――〔高木敏雄生誕一〇〇年記念〕」は次號完結、高木敏雄より松村武雄を詳述。
[投稿日] 2011-05-16
佐藤健二「柳田国男の歴史社会学」は既往の讀者にとっては新味無し。田中紀行「現代日本における歴史社会学の特質」の、日本では日本史研究者が社會史を近現代でやらないからその空白を埋める意味で歴史社會學と稱して社會學者が代ってやってしまふといふ指摘(p.170)は、言はれてみれば妙な分業關係ではある。しかしこの『(上)』を見る限りウェーバーは名目だけといふ感じだ。國際會議にありがちな中身薄い寄せ集め。下卷は見送り。
目次 http://honto.jp/netstore/pd-worklist_0602296077.html
[投稿日] 2010-12-26
このテーマの文獻案内にはなるだらう。各章ごとに中心となる論者のテクストを紹介し、要點を讀解しながら、「しかし、どうであろう。」と言って批判を差しはさむのがパターン。
ただ、どうであらう。第四章、三木清『歴史哲學』に對してだけはお得意の「どうであらう」節の異論が出ないといふのは。ショシャナ・フェルマンや高橋哲哉や野家啓一やスピヴァクよりも、三木の方がよほど獨斷論でツッコミどころだらけだが。
三木清における批判すべき點を見出すべき目を曇らせてゐるものは、何か。或る種の實踐への未練、なほ左翼的な政治性……?
ともあれ結局、歴史についての認識論や批判主義(カントの意味で)は展開されるに至らない。
[投稿日] 2015-07-11
國會圖書館所藏無し。石沢澈(とほる)はのち北海道教育大學勤務。同大附屬圖書館旭川館か京都大學文學部圖書館にしか入ってない自刊の著書が多い。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA7657965X
見返しに「謹呈 柴田実先生 著者より」とペン書き。はるばる京都より流れて來たか。柴田實は一九九七年三月歿。
Cf. http://mediamarker.net/u/bookish/?mid=2343567
「序」末に「本書は畏友有坂隆道學兄の並々ならぬ御盡力によつて出版の運びとなつた」とあり。
[投稿日] 2014-01-02
平成21年5月31日初版2刷、送料入れて二千五十圓と定價の八分の一程、桁外れの廉價で入手。
「責任編集岸本美緒」だが、岸本執筆分は目録學を説いた「図書分類法(中国の)」と「封建論」との二項のみ、支那思想史關係は小島毅擔當が多い。執筆者索引を備へるのは弘文堂の事典の特色ではないか。
「書評」(小森陽一)など、折角の面白さうな立項が執筆者に人を得なかったため不成功となったものもあるが、「項目分類目次」を眺めてゐるだけで興が湧き、それからそれへと引きたくなる。
あと手許に欲しい卷は、『3 かたちとしるし』『15 コミュニケーション』『5 歴史家とその作品』『6 歴史学の方法』あたりだが、なかなか貧書生には手が出ない。
http://web.archive.org/web/http://www.koubundou.co.jp/subsite/21041/index.html
http://www.koubundou.co.jp/book/b156922.html
[投稿日] 2010-10-02
[投稿日] 2009-10-29
[投稿日] 2011-03-06
この手の選集は粒選りの筈だが、それでこれだけ詰まらぬ論が多いってことは……。
[投稿日] 2011-03-26
[投稿日] 2011-03-26
余は如何にしてメディア史研究者となりしか、を綴る自傳的構成。その個別例を以て歴史學一般の問題にどこまで迫れたかが肝要だが……。すらすら直ぐに讀み了へられ達意の文である分だけ、あまり理論的考察に踏み込めないのは、この輕い叢書の性格上已むを得まい。
この本で論じ切れてない問題を引き取ると、著者が擧げる「宣伝」「公共性(圏)」「国民化」の接眼レンズ三點セットよりも重要なのは、「私はどれだけ大衆なのか」(p.71)といふ問ひと見た。大學大衆化に抗する「フンボルト理念」を創られた傳統と承知の上で信奉すると言ふが(p.10)、單なるエリート教養主義でなしに現在のマンモス大學や大學外の大衆社會でその理念は果して實踐し得るのか。享樂を好む大衆性は一面でアカデミズムに對するディレッタンティズム(pp.67-68)にも繋がるし、「社会史ブームは、[……]歴史学の印象を非政治的な雑学趣味にしてしまった」(p.29)といふ事態の底には歴史學徒さへももはや「政治的人間である「市民」」(p.29)から大衆に化したといふ社會状況があるのではないか。また世俗の垢に泥んだ大衆からすれば、鈴木庫三が「野蛮な軍人」ではなく「生真面目過ぎるほどの情熱」を持った「教育改革」の提唱者であったといふ發見(pp.87-88)は、鈴木を免罪するよりは寧ろそんな糞マジメだからこそ端迷惑な惡果を生じたといふ見方になるべきではないか。
「ひょっとするとディレッタントは誉め言葉だったのかもしれないが」(p.67)……否、蔑稱だったとしても、その價値判斷を逆轉すべきなのだ。佐藤卓己には、自分の長所がオモシロガリズムにあることを忘れないで貰ひたいものだ。
目次 http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0283220/top.html
[投稿日] 2010-09-01
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041171