[投稿日] 2009-10-29
日: 2009年10月29日(62件)
▼仮想の近代―西洋的理性とポストモダン
[投稿日] 2009-10-29
ドイツ法學の權威が定年近くになって現代思想へ踏み出した志向を示す論集。基本的に泰西諸説を綴り合せて調停しながら論を成し、自家獨立の識見は窺ひ難い。よく勉強してあって秀才らしく整理されてゐるものの輸入學問といふか飜譯的知性といふか。語學力無き菲才の身には要約紹介として役立つ。
「IV 歴史と偶然」は問題提起に留まって結論に及べなかったやうだが、材料は面白い。「歴史概念の変遷」に就きラインハルト・コゼレック『歴史基本概念事典』「歴史」の項目を紹介した上で、カントの歴史哲學にとって偶然性が問題となる所以をマンフレート・ゾンマーの解釋に從って考察したもの。
書き下ろし新稿「VI ヨーロッパの近代とポストモダン」も、人文主義的文化を論じて興味そそる。そこで使はれたスティーヴン・トゥールミン著はその後『近代とは何か その隠されたアジェンダ』と題して出た譯書で讀めるが、それ以上に著者に評價され、近代の辯神論について引證されるオード・マルクヴァルト『偶然性の弁護』が譯刊されぬものか……。せめても邦譯のある「人文科学の不可避性について」(中尾健二譯、『静岡大学教養部研究報告 人文・社会科学篇』29-1、1993.9#)をウェブで讀む。
# http://dx.doi.org/10.14945/00005159
本書全體を通し、ポストモダニズムに引き寄せて再評價されるロマン主義思想等は、掬すべきものありにせよ、今となってはドイツ特殊事情に偏した時論めいてしまって共感を興すまい。それよりも、合理主義や統一性に對する「偶然」「偶発性」をキイワードとして讀み直す方が面白い(卷末「索引」に立項あり)。――例へば、「II 近代化と合理主義・反合理主義」で引證されるロルフ・グリミンガーの論にクリスティアン・トマージウスが取り上げられてゐたが、法律家でもあったトマジウスが蓋然性論でも知られたことは偶然性に注意する觀點からは見逃せない筈。で、手代木陽『ドイツ啓蒙主義哲学研究――「蓋然性」概念を中心として』(二〇一三年)を讀むと……?
目次 http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2011/05/1992-34da.html
http://book.geocities.jp/studia_humanitatis_jp/newbooks2003.html
▼明治文化研究会事歴 (1966年) (関西大学国文学会刊行図書〈第2〉)
[投稿日] 2009-10-29
雜誌『新舊時代』→『明治文化』の總目次は『幕末・明治研究雑誌目次集覧』(日本古書通信社、1968)より細密。さすが田熊渭津子。あとは索引があればいいのに。
関西大学国文学会『國文学』第四十號「特集・明治文化研究会事歴 」(一九六六年十月)をページそのまま刊本とせるもの。挾み込み一葉あり、「「あとがき」で断っておいた『覆刻 世のうはさ』を、この本の発送間際になって見る機会を得たので、急ぎ別刷にして添える」と。
Cf. http://kokubun.sakura.ne.jp/wp/?page_id=150
田熊「『明治文化研究会事歴』補遺」(関西大学国文学会『國文学』第四十二號、一九六七年十二月)を併せ、また「『明治文化研究会事歴』以後――吉野作造・尾佐竹猛著作目録・木村毅と翻訳文学年表――」(『書誌索引展望』第4卷第2號、一九八〇年五月)も見るべし。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2988625
▼糸と痕跡
[投稿日] 2009-10-29
▼マックス・ウェーバーにおける歴史科学の展開
[投稿日] 2009-10-29
歴史主義を問題にしたウェーバー自身に歴史主義的考察を適用することによってウェーバー思想の變化(つまりそれも歴史だ)を捉へてゐて、狙ひ所はいい。平明な文章も好感が持てる。ウェーバー屋さんに留まらずに、史的認識論や歴史學方法論に寄與してくれることを期待したい。
『マックス・ウェーバー 普遍史と歴史社会学』も見ること。
http://www.sociallibrary.jp/entry/4872622251/
目次 http://www.minervashobo.co.jp/book/b49453.html
▼若き高杉一郎―改造社の時代
[投稿日] 2009-10-29
一般的には惡くない本だらう。讀んで新知識は得られ、ためにはなった。が、趣味ではない。
▼ストイックなコメディアンたち―フローベール、ジョイス、ベケット (転換期を読む)
[投稿日] 2009-10-29
表題からは判りにくいが、マーシャル・マクルーハンの弟子がウォルター・オングに獻げた小著。つまり文學論としてよりも、『グーテンベルグの銀河系』『声の文化と文字の文化』と共に讀まるべき本。メディア論的な精神史とでも言はうか、活字印刷が人間の思考や思想のあり方をどう變へたかがこの本の基底にある關心で、特に第二章のジェームズ・ジョイス論に組み入れられたといふ「書物としての書物」の論が刺戟的だった。活字人間たることを自任する者にとっては、我が事として思ひ當る評言が隨所に見られて、そこが面白い。
拙文「註(についての註)」に引いた。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/notes/comment.htm
目次 http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624934224
▼文学全集の黄金時代―河出書房の1960年代 (IZUMI BOOKS)
[投稿日] 2009-10-29
時代(戰後)が好みに合はないことを差し引いても、面白くないと思ふ。
▼光芒の大正―川内まごころ文学館蔵 山本實彦関係書簡集
[投稿日] 2009-10-29
退屈。發見無し。
目次 http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=9784784214594
▼読売雑譚集―明治十四年一月‐十七年十一月
[投稿日] 2009-10-29
それぁ別號調べも一往すべきことではあるが、どうして柳北執筆分に限定して抽出したがるのかなあ。雜誌や新聞のコラムは集合知の産物なんだから、雰圍氣を味はふためにも全部載っけて、柳北らしきものだけ註記しておけばいいんだよ。脱亞論は福澤諭吉の書いたものでないとかの、個人全集收録範圍を切り詰める議論と同根だね。それと、これまでの「反近代」的柳北觀を是正して啓蒙主義者の面を強調する山本芳明の解説は穩當なのだらうが、面白くない。いっそ木村毅みたいに柳北は常識的不平家で凡俗の市井人に過ぎないと言ひ切るのだったら、話が彈むのに。
目次 http://www.perikansha.co.jp/Search.cgi?mode=SHOW&code=1000000908
▼デザインの現場 2009年 10月号 [雑誌]
[投稿日] 2009-10-29
▼ブックデザイン
[投稿日] 2009-10-29
▼文学全集を立ちあげる
[投稿日] 2009-10-29
いまさら作家別單位の文學全集など構想しても始まるまいに、いい氣なものだ。
▼明治文化研究会と明治憲法―宮武外骨・尾佐竹猛・吉野作造
[投稿日] 2009-10-29
題材の割に今一つ。構成や文章を練り込めばもっと面白くなるのに。
▼検閲と文学--1920年代の攻防 (河出ブックス)
[投稿日] 2009-10-29
大筋として「政治」性に關係づけてゆく論法はノンポリからすると強引さを感ぜざるを得ないが、細部の調べは髙島健一郎論文など以上によく突っ込んであるので、創見が拾へる。多分、これをもっと短縮して物語り化すると目も當てられなくなるだらうが、「はじめに」の問題意識や「あとがき」に記された高杉一郎への共感などによって、さういふ短慮の讀者が出ることは必定か。細部にこそ神は宿るのに……。歴史を取留め無い偶然の集散と見られずに意志や必然の働きを見たがってしまふ所で、難が出る。
▼昨日と明日の間―編集者のノートから
[投稿日] 2009-10-29
▼書棚と平台―出版流通というメディア
[投稿日] 2009-10-29
現代の書籍流通問題への提言としてより、歴史研究書として讀んでやりたい。文獻目録が充實。
三版にて訂正八箇所とあとがきに補記あり。
「補記 本文中、開架・土間式書店で確認できた資料の時期を明治中期としたが、朝野文三郎『明治初年より二十年間 図書と雑誌』に、明治初期のこうした形式の店として、銀座三丁目の山政書店があげられている(同書六一頁)。
(二〇一〇年六月 著者記)」
目次 http://web.archive.org/web/www.koubundou.co.jp/books/pages/55128.html
http://www.koubundou.co.jp/book/b155860.html
http://web.archive.org/web/http://d.hatena.ne.jp/solar/20090812
http://web.archive.org/web/http://d.hatena.ne.jp/solar/20090924#p2
▼身体としての書物 (Pieria Books)
[投稿日] 2009-10-29
目次 http://www.cafecreole.net/onbooks/
▼挑発としての文学史 (岩波現代文庫)
[投稿日] 2009-10-29
新規追加の一篇「受容理論――その知られざる前史を顧みて」も含めて、なぜ「期待の地平」とか受容美學とかいふ新たな提言よりも、文學史史(文學史が過去に研究・著述されてきた歴史)を述べた部分の方が面白くて、ためになるのだらう。さう感ずるのは、何も私が歴史的知識が好きな後ろ向きの人間だからばかりではあるまい。譯註と譯者解説は立派だが、日本の讀者の受容状況では(ましてや日文協流では)空回りだったと思はれるのが惜しい。
▼(ブレインズ叢書1) 「批評」とは何か? 批評家養成ギブス
[投稿日] 2009-10-29