[投稿日] 2012-09-22
初版の『國語國文の研究』第三十七號(文獻書院、一九二九年十月)で購入、一九三一年版は未見だが單行本化した製本だらう。浪速高等學校編。
[投稿日] 2012-09-22
初版の『國語國文の研究』第三十七號(文獻書院、一九二九年十月)で購入、一九三一年版は未見だが單行本化した製本だらう。浪速高等學校編。
[投稿日] 2012-09-09
浪速高等學校編。『國語・國文』第三卷臨時増刊、一九三三年七月。
[投稿日] 2011-10-01
定價半額以下の端本拾ひで時間掛かったが、やっとこれで要り用な卷が全部揃った。これだから貧書生の學問は進捗が遲い。
[投稿日] 2011-04-29
國文學研究史の背景としては使へる。
著者が沼波瓊音が大好きなのはよく解ったが、あまり魅力を感じない。同樣に岩本素白も言はれるほどいいと思はぬのはこちとら散文的な朴念仁だから仕方無いのかしれんが、しかし紹介されてゐる岩本書翰はなかなか讀みたくなる文章なので、全部を收録するといふ『近世日本文学管見』を探すとしよう。それにしても、著者の文章はその敬慕する文筆家たちの影響がまるで感じられず、平易ではあるが可もなく不可もなく、凡庸な文體なのは不思議。ほんの稀に凝った用字が出るくらゐ。福澤諭吉に倣ったわけなのか? 纔かなこだはりであった歴史的假名遣も歿後の新版では現代假名遣ひにされてしまったので、敢へて舊版を探してゐた。
1.kamiyam 【2011-05-07 3:59】 (削除)
私は伊藤の文体は結構好みです。まさに平易かつ凡庸なところがいいなあと。
2.森 【2011-05-07 14:48】 (削除)
いやあ、惡いとも嫌ひとも思ひませんが、特徴の無いものを好むのは難しい。森銑三みたいに、端正なやうでもあからさまに整へた書きぶりだと文體の特徴が掴めるんですが。フランソワ・ジュリアン『無味礼賛』でも讀んだら參考になるかしらん。
目次(新版) http://www.yubun-shoin.co.jp/book/book_detail/4-8421-0007-9.html
[投稿日] 2011-04-29
[最終更新] 2021-03-06
翻訳 ケーテ・ハンブルガー:「文学の象徴問題について」
http://ci.nii.ac.jp/naid/40005823537
[投稿日] 2011-04-26
企劃者の「近年の研究状況は、[……]現下の立脚点になった「近過去」の積み重ねにあまりにも冷淡」(p.2)といふ問題提起は結構なのだが、シンポジウムがまるで討論になってない感想會なのはいつものことながら殘念、但し前田愛のエピソードが拾へる所は面白い。パネリスト二名のうち平岡敏夫「文学史研究における継承と断絶」は過去の自文の引用ばかり、歩一歩を進めて貰ひたいのだが(特に「『明治文学史』研究」で)老齡には酷か。谷沢永一「文学研究の発想」の方は、既發表との重複も多いが流石にハナシはうまい。方法論論爭の背景にあった三好行雄の對小田切秀雄批判の代理戰爭といふ面については小谷野敦『現代文学論争』(2010.10)が特筆してゐたが、先驅けてここで谷澤本人が明言してゐるのであり、これを參照すべきだった。しかし谷澤自身が「最後にものをいうのは事実です」と約言してしまひ(p.22)、それを「最後にものを言うのは事実だ」とのみ受け取る(p.47浅野洋發言)やうでは、論爭の意義を矮小化した「継承」になる。やはり改めて「方法」について前田愛からの批判をも含めて再考すべきであり、でなくては故人も浮かばれまい。
目次 http://www.izumipb.co.jp/izumi/modules/bmc/detail.php?book_id=10062
[投稿日] 2011-04-23
第二論文「主題構成の方法と文体の一般的方法との関係」はモチーフ論でもあり、「民俗学派について」の節に始まって口承文藝研究には示唆する所多いと思ふのだが、プロップと違ってこれが參照されたのを見た憶えないのは不審。もしや自分が勉強不足なだけかと思ってウェブ檢索したら、朝野十字といふ人がフランス構造主義におけるフォルマリスム導入に際してシクロフスキーは歪んで受容されてないかと指摘してゐた。『散文の理論』は書名通りであって詩的言語の理論ではない、といふことも。
http://asanojuji.blog61.fc2.com/blog-entry-312.html
[投稿日] 2011-04-23
[投稿日] 2011-04-03
一往調べて書いてゐるが、どうも讀み込めてない突っ込み不足の部分が目に着く。それなら自分に不向きな論爭は放って置いて、「現代文学論争」などと題した大掛かりな總覽の構へは止め、關心事である主題を設定してそれに關聯する論爭のみ拾って綴って行った方が良かったらうと思ふ。
[投稿日] 2011-03-27
安達大輔評 http://hdl.handle.net/2261/43080
博論要旨 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2008/609.html
[投稿日] 2011-03-27
函・本體含め中扉のみに「〈江戸期庶民文学と艶本〉」と副題、實際「物語文学と咄本」等の章あって春本以外も扱ふ。貼り奧附に「昭和五拾弐年拾月弐拾五日発行」とあるが初版「昭和四拾四年参月拾五日発行」が正しく、この僞裝に合せて「まえがき」末の「一九六九年三月」と記した行を削り消した痕跡を殘してゐる。その後も發行年月を詐稱した版があるか。改題新裝『江戸時代 好色文芸本事典』一九八八年刊。
http://www.geocities.co.jp/Bookend/6562/sex/nyumon.html
[投稿日] 2011-03-27
神話論的發想から語る松田修が馬鹿に見えてしまふ、大咄のやうで。橋川文三は呼ばれた意味が餘り無い。野口武彦が基調報告の「変革期の儒者・文人像」の章が、芳賀徹・富士川英郎とも噛み合ってゐるし、一番興味を惹く。前田愛の『幕末・維新期の文学』も再讀しよう。
[投稿日] 2011-03-26
[投稿日] 2011-03-26
[投稿日] 2011-03-12
[投稿日] 2011-03-11
翌一九五七年十一月自由国民社より『近世名勝負物語』第十二として再刊、一九六一年十二月読売新聞社刊『梢風名勝負物語』第十に「出版の王座」と共に再録。
[投稿日] 2011-02-22
女中小説論もさることながら、小生の好みでは初讀の「第7章 見せ消ちの〈色〉と〈欲〉――「菰野」」がメタ・フィクション論に接近してゐるので面白く思ひました。しかし日記や改稿と較べれば面白く讀めても、「菰野」(乃至「日記帖」)一篇から讀み取れといふのはちょっと無理さうで、讀者に傳はらない出來とされても仕方無いのではないかとも思ひますが。
目次 http://www.shinwasha.com/019-7.html
[投稿日] 2011-01-28
「日本出版学会」を名乘る發行所に注目。翌一九六二年(CiNiiは六一年十二月)煥乎堂刊の異版あり。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1335017
[投稿日] 2011-01-28
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1345130
[投稿日] 2011-01-28
「訂正版」一九七〇年三月刊。一九六九年刊が初版らしいが國會圖書館無し、未見。
内田魯庵 アーネスト・サトウ 齋藤秀三郎 宇田川文海 内村鑑三
http://www.kikuchi2.com/moku/showa.html