ストイックなコメディアンたち―フローベール、ジョイス、ベケット (転換期を読む)

未来社 / 1998-11刊 / ¥2,052
 /¥0
讀了:  文学・評論

[投稿日] 2009-10-29

 表題からは判りにくいが、マーシャル・マクルーハンの弟子がウォルター・オングに獻げた小著。つまり文學論としてよりも、『グーテンベルグの銀河系』『声の文化と文字の文化』と共に讀まるべき本。メディア論的な精神史とでも言はうか、活字印刷が人間の思考や思想のあり方をどう變へたかがこの本の基底にある關心で、特に第二章のジェームズ・ジョイス論に組み入れられたといふ「書物としての書物」の論が刺戟的だった。活字人間たることを自任する者にとっては、我が事として思ひ當る評言が隨所に見られて、そこが面白い。
 拙文「註(についての註)」に引いた。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/notes/comment.htm

目次 http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624934224

挑発としての文学史 (岩波現代文庫)

岩波書店 / 2001-11-16刊 / ¥1,188
 /¥0
讀了: 2009-00-00 評論・文学研究 ★3箇

[投稿日] 2009-10-29

 新規追加の一篇「受容理論――その知られざる前史を顧みて」も含めて、なぜ「期待の地平」とか受容美學とかいふ新たな提言よりも、文學史史(文學史が過去に研究・著述されてきた歴史)を述べた部分の方が面白くて、ためになるのだらう。さう感ずるのは、何も私が歴史的知識が好きな後ろ向きの人間だからばかりではあるまい。譯註と譯者解説は立派だが、日本の讀者の受容状況では(ましてや日文協流では)空回りだったと思はれるのが惜しい。

西洋古典こぼればなし (同時代ライブラリー (238))

岩波書店 / 1995-10-16刊 / ¥1,049
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讀了:  評論・文学研究 ★4箇

[投稿日] 2009-10-29

 收録文中「音読と黙読――歴史上どこまで確認できるか――」は、書物史に關心ある者にとりて必讀なり(初出の註を省けるは遺憾なれど)。
 また「二人の古典学者について」等、文獻學者A・E・ハウスマン(詩人としてではなく)に就ての所述が殊に興そそる。前著『語学者の散歩道』(研究社出版、1991)のハウスマン評と併せ讀まば更に興味増すべし。おゝ偉大なる學匠詩人ハウスマンよ……ホンマ難儀なお人やなあ。
 この愛すべき畸人と對比せられるもう一人の古典學者ギルバート・マリや、延いてはマリが傾倒せしジェーン・エレン・ハリスンらケンブリッジ・リチュアリストへの批判には專門柄傾聽すべき言あり。附記して參照を請うてゐる「悲劇の起源は祭祀か」(『現代思想』一九七三年八月號)も、讀まいでおかれうか。本邦にても福田恆存から西郷信綱まで依據せる『古代藝術と祭式』が誤謬學説なりけりと知られる。
 文體は平易にして考證癖を含みつつ自づから諧謔味を漂はすあたり、手に入ったもの。著者も自覺の上ならむ、師・田中美知太郎の著を英譯する話や「ラテン語版『クマのプーさん』など」は文體論として讀むも可なり。但し後者にて指摘せられたる通り、ラテン語はおよそ樣々なることが言ひ得るも中に言ひにくきこともあり(p.173)とせば、その傳にて同樣に、柳沼の文章は趣味あれどもこの文體にては論じ切れぬことも何かあるべし。それは何か? 

 拙文「校正癖 あるいはコレクトマニア綺譚」で參照した。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/GS/correct01.htm#sec2