[投稿日] 2009-10-29
年: 2009年(169件)
▼瘠我慢の精神 福沢諭吉「丁丑公論」「瘠我慢の説」を読む (朝日文庫)
[投稿日] 2009-10-29
▼改造社と山本実彦
[投稿日] 2009-10-29
甘い。筆者を取り替へて書き直せ。
▼明治大正言論資料 (20) 明治新聞雑誌関係者略伝
[投稿日] 2009-10-29
『明治新聞雑誌関係者略伝』、奮發してやっと買ったが……早まったか。條野採菊(山々亭有人)みたいな初期新聞界の著名な人が立項されてないのは案外だ。それよりも有名人の項を見ると、なほ失望する。西田長壽はなぜこんなに遠慮しいしいでないと書かうとしないのだらう。しかしこの人名事典の本領は、他では引けない無名の人を拾へることにあるから、使ひこなすにはこちらに素養が要るだらう。その手懸りとクロス・レファレンスのためには、やはり索引つけてくれなくては。
http://www.msz.co.jp/book/detail/00950.html
▼西洋古典こぼればなし (同時代ライブラリー (238))
[投稿日] 2009-10-29
收録文中「音読と黙読――歴史上どこまで確認できるか――」は、書物史に關心ある者にとりて必讀なり(初出の註を省けるは遺憾なれど)。
また「二人の古典学者について」等、文獻學者A・E・ハウスマン(詩人としてではなく)に就ての所述が殊に興そそる。前著『語学者の散歩道』(研究社出版、1991)のハウスマン評と併せ讀まば更に興味増すべし。おゝ偉大なる學匠詩人ハウスマンよ……ホンマ難儀なお人やなあ。
この愛すべき畸人と對比せられるもう一人の古典學者ギルバート・マリや、延いてはマリが傾倒せしジェーン・エレン・ハリスンらケンブリッジ・リチュアリストへの批判には專門柄傾聽すべき言あり。附記して參照を請うてゐる「悲劇の起源は祭祀か」(『現代思想』一九七三年八月號)も、讀まいでおかれうか。本邦にても福田恆存から西郷信綱まで依據せる『古代藝術と祭式』が誤謬學説なりけりと知られる。
文體は平易にして考證癖を含みつつ自づから諧謔味を漂はすあたり、手に入ったもの。著者も自覺の上ならむ、師・田中美知太郎の著を英譯する話や「ラテン語版『クマのプーさん』など」は文體論として讀むも可なり。但し後者にて指摘せられたる通り、ラテン語はおよそ樣々なることが言ひ得るも中に言ひにくきこともあり(p.173)とせば、その傳にて同樣に、柳沼の文章は趣味あれどもこの文體にては論じ切れぬことも何かあるべし。それは何か?
拙文「校正癖 あるいはコレクトマニア綺譚」で參照した。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/GS/correct01.htm#sec2
▼新薩摩学 5 雑誌「改造」とその周辺 (新薩摩学シリーズ)
[投稿日] 2009-10-29
ツッコミ不足の論文集。そこが知りたい、ってところに書き込みが足りない。
▼贈与論 (ちくま学芸文庫)
[投稿日] 2009-10-29
▼小松左京自伝―実存を求めて
[投稿日] 2009-10-29
▼匂へる園〈第2輯〉現代軟派文献大年表 (1933年)
[投稿日] 2009-10-29
▼近世ヨーロッパの言語と社会―印刷の発明からフランス革命まで
[投稿日] 2009-10-29
▼近世ヨーロッパの書籍業―印刷以前・以刷以後
[投稿日] 2009-10-29
▼マガジンハウスを創った男 岩堀喜之助
[投稿日] 2009-10-29
▼エロスの原風景─江戸時代〜昭和50年代後半のエロ出版史
[投稿日] 2009-10-29
▼グーテンベルクからグーグルへ―文学テキストのデジタル化と編集文献学
[投稿日] 2009-10-29
▼歴史学と社会理論
[投稿日] 2009-10-29
▼中国図書文献史攷
[投稿日] 2009-10-29
目次 http://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/000008344716.html
▼グリム兄弟 メルヘン論集 (叢書・ウニベルシタス)
[投稿日] 2009-10-29
▼三大編纂物 群書類従・古事類苑・国書総目録 の出版文化史
[投稿日] 2009-10-29
▼活字印刷の文化史
[投稿日] 2009-10-29
▼「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語
[投稿日] 2009-10-29