[投稿日] 2015-07-05
月刊の順序では十月一日發行となるべきところ乍ら、次の第九號と共に刊記は「十一月一日發行」であるのは何故の同時發行か、それとも誤植か。
河野省三「書齋隨筆」
山中靜齋「桐と本箱」
ほか
[投稿日] 2015-07-05
月刊の順序では十月一日發行となるべきところ乍ら、次の第九號と共に刊記は「十一月一日發行」であるのは何故の同時發行か、それとも誤植か。
河野省三「書齋隨筆」
山中靜齋「桐と本箱」
ほか
[投稿日] 2015-07-05
隔月刊誌。
「しゃべりながらの著作目録」と題して自註自解式なのが面白い。
目次
http://www.kobe-sigakukai.com/nc/htdocs/?page_id=51
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7939968?tocOpened=1
第22巻第4号「落合重信古稀記念号」(一九八三年八月)にも著作目録あり。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7939905
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/kobe-shigaku/backnamber.htm
[投稿日] 2015-07-05
「読書特集2006」
「書店空間の現在・過去・未来 中村文孝(ジュンク堂書店池袋本店副店長)インタビュー」聞き手=編集部、pp.25-29)が、明晰な知性を示して面白い。紹介に曰く「いまや伝説となっている一九八九年のリブロ池袋店の改装・設計を全面的にてがけた方でもある(詳しくは田口久美子『書店風雲録』本の雑誌社、二〇〇三年を参照のこと)。いわば、ハードウェアとしての書店空間作りのプロ」。中村曰く、ネットのダウンロード販賣に對してリアル店舖が「専門店化して生き残るという方向はある。でもこの専門店というのは音楽の場合、廃盤が多いから、新譜と中古が一緒」であることに鑑みると、「リアル書店を救っていく土壌があるとすれば、新刊と古本の融合ということではないかと思います。それをやるための仕組み作りに、いまの再販制と委託制は足かせになりますね。」「委託配本制ではなく注文買切制に転換し、書店が配本を受託する立場から発注者の立場に変容することが肝心です。」「委託配本制のもとでは、書店は小売業とはいえないんです。出版社がメーカーじゃなくて、取次が問屋じゃなくて、書店が小売業じゃなければ、あとはメーカーである著者とエンドユーザーである読者が直接結びつくのは自然な流れということになってしまいますね。そうならないためには何が必要か、ということです」。中村文孝『リブロが本屋であったころ』(〈出版人に聞く4〉論創社、二〇一一年五月)と併せ讀むべし。
目次 http://www.miraisha.co.jp/np/inner/200604
[投稿日] 2015-07-05
發行所名「麥書房」はNO.4以降か表紙では舊字體表記になったが、表紙のみならず奧附でも舊字體表記になってゐる。
「サロン・ド・ムギ」(p.11)はプレス・ビブリオマーヌの『ヴィリエ・ド・リラダン作品集』第一期三册の紹介。「尚、佐々木[桔梗]氏のポートレートは雑誌「芸術生活」一月号に紹介されている」と。
[投稿日] 2015-07-05
橘井清五郎「書籍醫學」(pp.10-24)は、『古版書誌論考』(〈日本書誌学大系〉青裳堂書店、一九八二年八月)に收録されなかった。
Cf. http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060211/p3
市島春城「米庵の筆譜に就て」
田口米舫「淡島椿岳」
楠瀬日年「呉昌碩翁の書齋」
ほか
なほ、印刷者・印刷所の猪木卓二・京華社印刷所については、寺島珠雄『南天堂 松岡虎王麿の大正・昭和』(皓星社、一九九九年九月)第二十四章以下に出て來る。
[投稿日] 2015-07-05
奧附刊記に「編輯兼發行人 齋藤昌三」とあるも發行所の記載を缺くが、他號により愛書趣味社とした。
「非賣品」。表紙にのみ「(書誌號)」とあり、齋藤昌三「圖書研究の專門誌」がのちの『書物誌展望』につながる書物雜誌の綜覽を試みてゐるのでそれを指すか。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1498135?tocOpened=1
[投稿日] 2015-07-05
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1480383?tocOpened=1
「スクラップブック」欄(pp.134-135)は、仁科春彦「圖書館風景」が帝國圖書館の利用者として不滿を寄せ、これに對し「圖書館から」と題して増田七郎(帝大圖書館)と北上柳二(誰?)が寄稿。増田曰く「仁科氏のやうに、圖書館に對する不平を發表される人はまことにたふとい」。
[投稿日] 2015-07-05
裸本。書名副題は表1のみ「(附出版關係法規集)」としCiNiiはこれを注記に採るが、奧附・標題紙・目次・本文p.70では「法令集」が正しい。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA39396151
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1702577?tocOpened=1
「内務省警保局圖書課 中村忠 序」。その劈頭に曰く「著者は多年内務省警保局圖書課に勤務せられ、出版法運用の實務に携つて居られる斯道の精通者である」と。
Cf.『書物蔵』2015/1/16(金) http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20150116/p2
[投稿日] 2015-07-05
國會圖書館・CiNii所藏無し。刊記無いが、本文中に擧げられた參考書類より察すれば大正年間なるべし。十三章七十六ページより成る。
獨學者への手引きでもある。目次に曰く「學問に志す濫觴」「薄運は寧ろ幸福」「實力の時代」「獨學の利益」……。
雜誌と書籍の中間とも言へる「講義録」については教育史に『近代化過程における遠隔教育の初期的形態に関する研究』あり(菅原亮芳らの「近代日本教育雑誌史研究」の筋)。
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN10285312/ISS0000454471_ja.html
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007039499
[投稿日] 2015-07-05
目次に無いが本號の「サロン・ド・ムギ」(p.37)は『尾崎一雄文学書目』(山王書房)評。
p.41に「編集部住所名稱[ママ]変更お知らせ」「前号正誤訂正」あり。
「編集後記」(p.48)末に曰く、「今月から「薔薇窓」を開く。というのは、ジャーナリズムの批評圏外にある由か、所謂小雑誌上の優れたエッセーが紹介されなさすぎるのでこういう試みを設けた」。目次からは判らないが、本號では特輯中の川副国基「真摯異色の静雄研究誌「果樹園」 小高根二郎氏の伊東静雄論」が該當する。
[投稿日] 2015-07-05
岡野他家夫「これも近代文学資料」
佐々木桔梗「書物ところどころ――限定版という名の世界――」
ほか
目次に無いが「受贈御礼」欄(p.49)が設けられた。
「編集後記」(p.49)劈頭にHこと堀内達夫曰く「前号で申しあげたにも拘らず、又々遅刊いたしました。斉[ママ]藤昌三氏蔵書売立の世話人を命じられたり等という多忙を処理し切れなかった私の責任ですが、どうかお許し下さい」。
[投稿日] 2015-07-05
植松安「書庫の起源」
有賀朗廬「淺草海苔の話」(未完、次號に續く)
竹原蕭々「羽田野文庫」
ゆまに書房書誌書目シリーズでの合本複刻(一九九三年)と別に、青木書店出品目録に據ればこの十五號を一九七五年に複刻した悠陽文庫といふのがあるらしいが所藏機關見當らず。
http://rdr.supergenji.jp/sgenji/D1/d1.pl?val=000106175023/
[投稿日] 2015-07-05
國會圖書館缺號。
市島春城「日記を書く習慣に就て」
齋藤惇「書齋と文庫(其の二)」
谷川樂石「日記の事」
竹原蕭々「紅葉山文庫」
ほか
[投稿日] 2015-07-05
地名・部落史研究者として語られ、圖書館人の側面は觸れられない。
「編集後記」(大国正美)に曰く、「落合さんの著作目録は、『歴史と神戸』119、180号でまとめられているが、実はごく一部。志水豊章さんの協力を得て当日配布したものを作ったがまだ不十分。脱落があれば、ご教示願いたい」。
目次
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7939984?tocOpened=1
http://www.kobe-sigakukai.com/nc/htdocs/?page_id=54
[投稿日] 2015-07-05
齋藤惇「書齋と文庫(其の一)」
谷川樂石「古甕の味」
楠瀬日年「山紫水明處」
竹原蕭々「淺草文庫の今昔」
ほか
樂石はのち改姓して大場磐雄。
[投稿日] 2015-07-03
Phaenomenologica 25
メルロ=ポンティに見られる讀解法を評して曰く、「フィンク流に言うならば、相手の論拠で用いられている「操作概念」を、求心的な読解を介し「主題概念」へともちきたらす」(「序 メルロ=ポンティ〈の〉読解 レクチュールとエクリチュールのはざま」p.14)――出典註を附さぬが、オイゲン・フィンク「フッサールの現象学における操作的概念」(新田義弘譯、新田義弘・小川侃編『現象学の根本問題』〈現代哲学の根本問題8〉晃洋書房、一九七八年十一月)に據る。これを自身に施せば、「思想家にとって本質的なことは、彼が自分自身でずっと以前から適用していた当の方法を顕在化し主題化することでしかない」(p.50)。同じ傳で主題化されたのが、言語であるといふわけ。「第一部 語る語られた言語」では『行動の構造』『知覚の現象学』等のメルロ=ポンティの論が、行動主義心理學やゲシュタルト心理學が記述や説明に用ゐる言語への批判としてあったことを示す。「第二部 語られた語る言語」にて、ソシュール著と出會った中期以降におけるメルロ=ポンティにとっての主題概念となってからの言語論を讀み解いてゐる。フッサール(フッセルと表記)への參照が多いのは當然として(Phaenomenologicaといふシリーズだし)、ベルクソンが引合ひにされるのが目立つ。
[投稿日] 2015-06-27
奥付には「明治文學合本」題扉には「明治文學 第壹卷」と記し第一輯より第四輯までを收めるが、第五輯以下續刊されなかったので第貳卷も無く、これで全號揃ひである。新たに藤村作「序」を附す。各輯細目は『現代日本文芸総覧 補巻』を見よ。
[投稿日] 2015-06-20
http://www.fsjnet.jp/periodical/periodical_data/backnumber_261-280.html
[投稿日] 2015-06-20
實際の刊行日は五月初め出來か。
http://www.tais.ac.jp/education/faculty/c-1/blog/2015/05/03-114310.html
「荒川」は荒川康。A4判。
I 若者の街にある古書店――渋谷と高円寺を探る
II 経験としての古書店
III 社会性から照射される古書店
IV 古書と古書店の諸相
[投稿日] 2015-06-20
第876回談話会(2014年9月14日)に基づく。
http://kasamashoin.jp/2014/06/8762014914.html
http://www.fsjnet.jp/regular_meeting/data/regular_meeting_2014.html