[投稿日] 2009-10-29
カテゴリー: 本・雜誌(857件)
▼エロスの原風景─江戸時代〜昭和50年代後半のエロ出版史
[投稿日] 2009-10-29
▼大学の誕生〈上〉帝国大学の時代 (中公新書)
[投稿日] 2009-10-29
▼明治文化研究会事歴 (1966年) (関西大学国文学会刊行図書〈第2〉)
[投稿日] 2009-10-29
雜誌『新舊時代』→『明治文化』の總目次は『幕末・明治研究雑誌目次集覧』(日本古書通信社、1968)より細密。さすが田熊渭津子。あとは索引があればいいのに。
関西大学国文学会『國文学』第四十號「特集・明治文化研究会事歴 」(一九六六年十月)をページそのまま刊本とせるもの。挾み込み一葉あり、「「あとがき」で断っておいた『覆刻 世のうはさ』を、この本の発送間際になって見る機会を得たので、急ぎ別刷にして添える」と。
Cf. http://kokubun.sakura.ne.jp/wp/?page_id=150
田熊「『明治文化研究会事歴』補遺」(関西大学国文学会『國文学』第四十二號、一九六七年十二月)を併せ、また「『明治文化研究会事歴』以後――吉野作造・尾佐竹猛著作目録・木村毅と翻訳文学年表――」(『書誌索引展望』第4卷第2號、一九八〇年五月)も見るべし。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2988625
▼小唄伝説集
[投稿日] 2009-10-29
▼グーテンベルクからグーグルへ―文学テキストのデジタル化と編集文献学
[投稿日] 2009-10-29
▼瘠我慢の精神 福沢諭吉「丁丑公論」「瘠我慢の説」を読む (朝日文庫)
[投稿日] 2009-10-29
▼デザインの現場 2009年 10月号 [雑誌]
[投稿日] 2009-10-29
▼自然主義のレトリック
[投稿日] 2009-10-29
▼歴史学と社会理論
[投稿日] 2009-10-29
▼改造社と山本実彦
[投稿日] 2009-10-29
甘い。筆者を取り替へて書き直せ。
▼ブックデザイン
[投稿日] 2009-10-29
▼文学的記憶・一九四〇年前後―昭和期文学と戦争の記憶
[投稿日] 2009-10-29
目次 http://honto.jp/netstore/pd-contents_0602735661.html
▼中国図書文献史攷
[投稿日] 2009-10-29
目次 http://rnavi.ndl.go.jp/mokuji_html/000008344716.html
▼明治大正言論資料 (20) 明治新聞雑誌関係者略伝
[投稿日] 2009-10-29
『明治新聞雑誌関係者略伝』、奮發してやっと買ったが……早まったか。條野採菊(山々亭有人)みたいな初期新聞界の著名な人が立項されてないのは案外だ。それよりも有名人の項を見ると、なほ失望する。西田長壽はなぜこんなに遠慮しいしいでないと書かうとしないのだらう。しかしこの人名事典の本領は、他では引けない無名の人を拾へることにあるから、使ひこなすにはこちらに素養が要るだらう。その手懸りとクロス・レファレンスのためには、やはり索引つけてくれなくては。
http://www.msz.co.jp/book/detail/00950.html
▼(ブレインズ叢書1) 「批評」とは何か? 批評家養成ギブス
[投稿日] 2009-10-29
▼辞書にない「あて字」の辞典 (講談社プラスアルファ文庫)
[投稿日] 2009-10-29
前身の『遊字典』(冬樹社、1984→角川文庫、1986.8)の方が、序文やコラムなどが充實してゐました。改題後は、凡例で出典を『明治文学全集』だと明記したのが取り柄ですが、氣取った序文「Prefaceのようなメッセージ」は「はじめに」に差し替へ、コラムは何本か削られました。古本で角川文庫版を探すことをお奬めします。その浦達也の解説はニュー・アカ・ブームの影響が濃厚で、時代色が窺はれて愉快です。
http://d.hatena.ne.jp/higonosuke/20070201#c1170614917
▼グリム兄弟 メルヘン論集 (叢書・ウニベルシタス)
[投稿日] 2009-10-29
▼西洋古典こぼればなし (同時代ライブラリー (238))
[投稿日] 2009-10-29
收録文中「音読と黙読――歴史上どこまで確認できるか――」は、書物史に關心ある者にとりて必讀なり(初出の註を省けるは遺憾なれど)。
また「二人の古典学者について」等、文獻學者A・E・ハウスマン(詩人としてではなく)に就ての所述が殊に興そそる。前著『語学者の散歩道』(研究社出版、1991)のハウスマン評と併せ讀まば更に興味増すべし。おゝ偉大なる學匠詩人ハウスマンよ……ホンマ難儀なお人やなあ。
この愛すべき畸人と對比せられるもう一人の古典學者ギルバート・マリや、延いてはマリが傾倒せしジェーン・エレン・ハリスンらケンブリッジ・リチュアリストへの批判には專門柄傾聽すべき言あり。附記して參照を請うてゐる「悲劇の起源は祭祀か」(『現代思想』一九七三年八月號)も、讀まいでおかれうか。本邦にても福田恆存から西郷信綱まで依據せる『古代藝術と祭式』が誤謬學説なりけりと知られる。
文體は平易にして考證癖を含みつつ自づから諧謔味を漂はすあたり、手に入ったもの。著者も自覺の上ならむ、師・田中美知太郎の著を英譯する話や「ラテン語版『クマのプーさん』など」は文體論として讀むも可なり。但し後者にて指摘せられたる通り、ラテン語はおよそ樣々なることが言ひ得るも中に言ひにくきこともあり(p.173)とせば、その傳にて同樣に、柳沼の文章は趣味あれどもこの文體にては論じ切れぬことも何かあるべし。それは何か?
拙文「校正癖 あるいはコレクトマニア綺譚」で參照した。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/GS/correct01.htm#sec2
▼挑発としての文学史 (岩波現代文庫)
[投稿日] 2009-10-29
新規追加の一篇「受容理論――その知られざる前史を顧みて」も含めて、なぜ「期待の地平」とか受容美學とかいふ新たな提言よりも、文學史史(文學史が過去に研究・著述されてきた歴史)を述べた部分の方が面白くて、ためになるのだらう。さう感ずるのは、何も私が歴史的知識が好きな後ろ向きの人間だからばかりではあるまい。譯註と譯者解説は立派だが、日本の讀者の受容状況では(ましてや日文協流では)空回りだったと思はれるのが惜しい。