[投稿日] 2009-10-29
[最終更新] 2014-07-09
目次 http://asios-blog.seesaa.net/article/145140870.html
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[投稿日] 2009-10-29
[投稿日] 2009-10-29
從來の研究が「人物批評」や「作品批判」に留まってゐたので「実態」の解明を行ふと。その言や善し、手堅い歴史學的研究として評價せねばなるまい。が、讀んで面白いものではない。對象が面白くなければ仕方無い? しかし、實態とは、社會活動や政治的影響のことばかりでいいのだらうか。柳北の書くものも文飾を取っ拂って内容だけ忠實に拾ひ上げたら存外常識的で詰まらないが、それでは彼一流の奇文を讀んだことにはなるまい。同樣に、屈折拔きに平板化した敍述で事實を綴らうとした執筆姿勢に問題があるとしたら? 眞面目な研究者に求める方が無理にせよ。
[投稿日] 2009-10-29
大筋として「政治」性に關係づけてゆく論法はノンポリからすると強引さを感ぜざるを得ないが、細部の調べは髙島健一郎論文など以上によく突っ込んであるので、創見が拾へる。多分、これをもっと短縮して物語り化すると目も當てられなくなるだらうが、「はじめに」の問題意識や「あとがき」に記された高杉一郎への共感などによって、さういふ短慮の讀者が出ることは必定か。細部にこそ神は宿るのに……。歴史を取留め無い偶然の集散と見られずに意志や必然の働きを見たがってしまふ所で、難が出る。
[投稿日] 2009-10-29
[最終更新] 2014-09-29
http://d.hatena.ne.jp/uakira/20120416#c1336582180
[投稿日] 2009-10-29
[投稿日] 2009-10-29
それぁ別號調べも一往すべきことではあるが、どうして柳北執筆分に限定して抽出したがるのかなあ。雜誌や新聞のコラムは集合知の産物なんだから、雰圍氣を味はふためにも全部載っけて、柳北らしきものだけ註記しておけばいいんだよ。脱亞論は福澤諭吉の書いたものでないとかの、個人全集收録範圍を切り詰める議論と同根だね。それと、これまでの「反近代」的柳北觀を是正して啓蒙主義者の面を強調する山本芳明の解説は穩當なのだらうが、面白くない。いっそ木村毅みたいに柳北は常識的不平家で凡俗の市井人に過ぎないと言ひ切るのだったら、話が彈むのに。
目次 http://www.perikansha.co.jp/Search.cgi?mode=SHOW&code=1000000908
[投稿日] 2009-10-29
題材の割に今一つ。構成や文章を練り込めばもっと面白くなるのに。
[投稿日] 2009-10-29
[最終更新] 2014-09-29
目次 http://www.tsugeshobo.com/herohtml/book07030912282700.shtml
[投稿日] 2009-10-29
[投稿日] 2009-10-29
退屈。發見無し。
目次 http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=9784784214594
[投稿日] 2009-10-29
いまさら作家別單位の文學全集など構想しても始まるまいに、いい氣なものだ。
[投稿日] 2009-10-29
[最終更新] 2014-09-29
[投稿日] 2009-10-29
[投稿日] 2009-10-29
時代(戰後)が好みに合はないことを差し引いても、面白くないと思ふ。
[投稿日] 2009-10-29
ドイツ法學の權威が定年近くになって現代思想へ踏み出した志向を示す論集。基本的に泰西諸説を綴り合せて調停しながら論を成し、自家獨立の識見は窺ひ難い。よく勉強してあって秀才らしく整理されてゐるものの輸入學問といふか飜譯的知性といふか。語學力無き菲才の身には要約紹介として役立つ。
「IV 歴史と偶然」は問題提起に留まって結論に及べなかったやうだが、材料は面白い。「歴史概念の変遷」に就きラインハルト・コゼレック『歴史基本概念事典』「歴史」の項目を紹介した上で、カントの歴史哲學にとって偶然性が問題となる所以をマンフレート・ゾンマーの解釋に從って考察したもの。
書き下ろし新稿「VI ヨーロッパの近代とポストモダン」も、人文主義的文化を論じて興味そそる。そこで使はれたスティーヴン・トゥールミン著はその後『近代とは何か その隠されたアジェンダ』と題して出た譯書で讀めるが、それ以上に著者に評價され、近代の辯神論について引證されるオード・マルクヴァルト『偶然性の弁護』が譯刊されぬものか……。せめても邦譯のある「人文科学の不可避性について」(中尾健二譯、『静岡大学教養部研究報告 人文・社会科学篇』29-1、1993.9#)をウェブで讀む。
# http://dx.doi.org/10.14945/00005159
本書全體を通し、ポストモダニズムに引き寄せて再評價されるロマン主義思想等は、掬すべきものありにせよ、今となってはドイツ特殊事情に偏した時論めいてしまって共感を興すまい。それよりも、合理主義や統一性に對する「偶然」「偶発性」をキイワードとして讀み直す方が面白い(卷末「索引」に立項あり)。――例へば、「II 近代化と合理主義・反合理主義」で引證されるロルフ・グリミンガーの論にクリスティアン・トマージウスが取り上げられてゐたが、法律家でもあったトマジウスが蓋然性論でも知られたことは偶然性に注意する觀點からは見逃せない筈。で、手代木陽『ドイツ啓蒙主義哲学研究――「蓋然性」概念を中心として』(二〇一三年)を讀むと……?
目次 http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2011/05/1992-34da.html
http://book.geocities.jp/studia_humanitatis_jp/newbooks2003.html
[投稿日] 2009-10-29
[最終更新] 2014-09-29