西洋哲学史再構築試論

昭和堂 / 2007-11刊 / ¥6,264
讀了: 2011-06-01 人文・思想

[投稿日] 2011-06-01

 哲學史を主題としながら、哲學者の非歴史性といふか歴史への鈍感ぶりを窺はせる一册となった。村井則夫「生の修辞学と思想史――ブルーメンベルクと『近代の正統性』――」(第4章)くらゐが例外か。それにしても思想家・哲學者に即した「人とその思想」形式が多くて、哲學史と稱するには歴史の流れを展望する視力に乏しい。一ノ瀬正樹「感覚的知識の謎――ロック認識論からするプロバビリティ概念の探究――」(第5章)なんか、ちゃんと歴史認識論につなげればもっと面白くなりさうなのだが。就中「過去的出来事の確率原理」に關し、量子力學における「波束の收縮」論が確率が確實性へと突然變化するのには觀察乃至觀測が關與すると見て、それを「瞬時の非連続的変化の機会」と表現したことにつき、「それはまるで、古典的な機会原因論者マールブランシュの語り方のように聞こえる」(p.190)と言ふ邊り、示唆深い。殊に、カール・シュミット『政治的ロマン主義』を歴史主義の潮流の中に置いて讀んだ者としては。小西善信「個物の問題」(第9章)も、近代は「個物の忘却史」(p.375)と斷ずる前に、なぜ近代史學に眼を向けなかったか。新カント派が「個性記述的 idiographic 」と呼んで歴史學の位置附けに苦心し、トレルチやマイネッケが歴史主義の原理として個性化を擧げたのは、アリストテレス以來「個物は曰く言ひ難し」とされる個物へと迫る試みであった筈。

目次 http://www.showado-kyoto.jp/book/b96715.html

歴史社会学とマックス・ヴェーバー〈上〉歴史社会学の歴史と現在

理想社 / 2003-03刊 / ¥3,024
讀了: 2011-05-16 社会・政治

[投稿日] 2011-05-16

 佐藤健二「柳田国男の歴史社会学」は既往の讀者にとっては新味無し。田中紀行「現代日本における歴史社会学の特質」の、日本では日本史研究者が社會史を近現代でやらないからその空白を埋める意味で歴史社會學と稱して社會學者が代ってやってしまふといふ指摘(p.170)は、言はれてみれば妙な分業關係ではある。しかしこの『(上)』を見る限りウェーバーは名目だけといふ感じだ。國際會議にありがちな中身薄い寄せ集め。下卷は見送り。

目次 http://honto.jp/netstore/pd-worklist_0602296077.html

現代思想2007年11月臨時増刊号 総特集=マックス・ウェーバー

青土社 / 2007-11刊 / ¥1,440
購入: 2011-05-10  /¥0
讀了: 2011-06-10 人文・思想

[投稿日] 2011-05-10

 野口雅弘「信条倫理化する〈保守〉 ウェーバーとマンハイムを手がかりにして」上野俊哉「母のスワン・ソング、息子のデス・ディスコ」がまあまあ。荒川敏彦「殻の中に住むものは誰か 「鉄の檻」的ヴェーバー像からの解放」と三笘利幸「「没価値性」から「職業社会学」へ 尾高邦雄のヴェーバー受容をめぐって」は誤譯批判として心得ておく。

目次 http://www.seidosha.co.jp/index.php?%A5%DE%A5%C3%A5%AF%A5%B9%A1%A6%A5%A6%A5%A7%A1%BC%A5%D0%A1%BC

思想 2007年 11月号 [雑誌]

岩波書店 / 2007-10-30刊 / ¥1,543
購入: 2011-05-10  /¥0
讀了: 2011-06-12 雑誌

[投稿日] 2011-05-10

特輯「ソシュール生誕150年」
 期待したほど面白い論文は無かった。部分では得る物があるのだが、物足りない感じで終るのが多い。
 幾つかの論文に共通する點として、「共時」をどう考へ直すかが要所か。

目次 https://www.iwanami.co.jp/shiso/1003/shiso.html

ニッポンの書評 (光文社新書)

光文社 / 2011-04-15刊 / ¥799
購入: 2011-05-04  /¥0
讀了: 2011-05-05 本・図書館

[投稿日] 2011-05-04

 こんなに本が好きなのに、自分には興味の無い世界がこれほどあるなんて、書物の世界は廣い廣い。逆に言へば、世間普通の讀者はここにあるやうな本への關心が大半なので、自分が偏り過ぎてゐるのだらうが。著者は書評と評論・批評とを截然と分けてしまってゐるが、書評といふか正確に呼ぶなら現代小説の新刊紹介、サマリーだな、これは。それはそれで藝を磨いてくれればよいけれど、では、さうでない意味での人文書讀みのための書評論は那邊にありや。

http://d.hatena.ne.jp/leeswijzer/20110505/

忘れ得ぬ国文学者たち―并、憶ひ出の明治大正 (1973年)

右文書院 / 1973刊 / ¥1,296
購入: 2011-04-29  /¥300
讀了: 2011-05-02 古書

[投稿日] 2011-04-29

 國文學研究史の背景としては使へる。
 著者が沼波瓊音が大好きなのはよく解ったが、あまり魅力を感じない。同樣に岩本素白も言はれるほどいいと思はぬのはこちとら散文的な朴念仁だから仕方無いのかしれんが、しかし紹介されてゐる岩本書翰はなかなか讀みたくなる文章なので、全部を收録するといふ『近世日本文学管見』を探すとしよう。それにしても、著者の文章はその敬慕する文筆家たちの影響がまるで感じられず、平易ではあるが可もなく不可もなく、凡庸な文體なのは不思議。ほんの稀に凝った用字が出るくらゐ。福澤諭吉に倣ったわけなのか? 纔かなこだはりであった歴史的假名遣も歿後の新版では現代假名遣ひにされてしまったので、敢へて舊版を探してゐた。

1.kamiyam 【2011-05-07 3:59】 (削除)
私は伊藤の文体は結構好みです。まさに平易かつ凡庸なところがいいなあと。
2.森 【2011-05-07 14:48】 (削除)
 いやあ、惡いとも嫌ひとも思ひませんが、特徴の無いものを好むのは難しい。森銑三みたいに、端正なやうでもあからさまに整へた書きぶりだと文體の特徴が掴めるんですが。フランソワ・ジュリアン『無味礼賛』でも讀んだら參考になるかしらん。

目次(新版) http://www.yubun-shoin.co.jp/book/book_detail/4-8421-0007-9.html 

目録学 (1979年) (東洋学文献センター叢刊影印版〈1〉)

汲古書院 / 1979-03刊 / ¥1,836
購入: 2011-04-29  /¥1000
讀了: 2011-06-25 古書

[投稿日] 2011-04-29

 章學誠『校讎通義』が讀みたくなる。 
 内藤湖南『支那目録學』からどの程度に踏襲しまた踏み出してゐるかを測らねばなるまい。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/iocpicservice/110330~%E5%80%89%E7%9F%B3%E6%AD%A6%E5%9B%9B%E9%83%8E%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88/05019~05019%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%9B%AE%E9%8C%B2%E5%AD%A6/

http://picservice.ioc.u-tokyo.ac.jp/01_130112~%E6%BC%A2%E7%B1%8D%E7%9F%A5%E8%AD%98%E5%BA%AB/110330~%E5%80%89%E7%9F%B3%E6%AD%A6%E5%9B%9B%E9%83%8E%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88/050190~050190%E4%B8%AD%E5%9C%8B%E7%9B%AE%E9%8C%B2%E5%AD%B8/

文学研究における継承と断絶―関西支部草創期から見返す (いずみブックレット)

和泉書院 / 2009-11刊 / ¥1,080
購入: 2011-04-26  /¥404
讀了: 2011-04-26 文学・評論

[投稿日] 2011-04-26

 企劃者の「近年の研究状況は、[……]現下の立脚点になった「近過去」の積み重ねにあまりにも冷淡」(p.2)といふ問題提起は結構なのだが、シンポジウムがまるで討論になってない感想會なのはいつものことながら殘念、但し前田愛のエピソードが拾へる所は面白い。パネリスト二名のうち平岡敏夫「文学史研究における継承と断絶」は過去の自文の引用ばかり、歩一歩を進めて貰ひたいのだが(特に「『明治文学史』研究」で)老齡には酷か。谷沢永一「文学研究の発想」の方は、既發表との重複も多いが流石にハナシはうまい。方法論論爭の背景にあった三好行雄の對小田切秀雄批判の代理戰爭といふ面については小谷野敦『現代文学論争』(2010.10)が特筆してゐたが、先驅けてここで谷澤本人が明言してゐるのであり、これを參照すべきだった。しかし谷澤自身が「最後にものをいうのは事実です」と約言してしまひ(p.22)、それを「最後にものを言うのは事実だ」とのみ受け取る(p.47浅野洋發言)やうでは、論爭の意義を矮小化した「継承」になる。やはり改めて「方法」について前田愛からの批判をも含めて再考すべきであり、でなくては故人も浮かばれまい。

目次 http://www.izumipb.co.jp/izumi/modules/bmc/detail.php?book_id=10062

国語文法論 (1974年)

笠間書院 / 1974-07-20刊 / ¥972
購入: 2011-04-23  /¥300
讀了: 2011-07-08 古書

[投稿日] 2011-04-23

 さぞや大學ではテキストに使ふところもあるのだらうが、正規の國語學の教育を受けなかったため、知らずにゐたのが悔まれる。基本書にして名著、この薄さに簡約した手際も御立派。上段の本文に沿ひつつ下段に主要文法論各説が對比してあるのが參考に便であり、時枝誠記や三浦つとむ(吉本隆明の愚論は言ふも更なり)に踏み迷ふ前に、これ一册で大概濟まないか。これを入門にして著者の代表作『国語構文論』に食指を伸ばすも可、その後の内外の新理論から振り返って再評價するも可。
 「職能」と言ふは構文的機能論であり、中でも「関係的構成」(時枝文法が「辭」に見たもの)の機能(=函數)を主とする。助詞・助動詞・接續詞・副詞に神經を使って文章を書いてゐる者であれば、文の論理を構築するのに大いにこの本の解析が參考とならう。
 「はしがき」末に「昭和五十一年二月(再版にあたって加筆)」とあり。

散文の理論

せりか書房 / 1971-06-30刊 / ¥78,695
購入: 2011-04-23  /¥315
未読 文学・評論

[投稿日] 2011-04-23

 第二論文「主題構成の方法と文体の一般的方法との関係」はモチーフ論でもあり、「民俗学派について」の節に始まって口承文藝研究には示唆する所多いと思ふのだが、プロップと違ってこれが參照されたのを見た憶えないのは不審。もしや自分が勉強不足なだけかと思ってウェブ檢索したら、朝野十字といふ人がフランス構造主義におけるフォルマリスム導入に際してシクロフスキーは歪んで受容されてないかと指摘してゐた。『散文の理論』は書名通りであって詩的言語の理論ではない、といふことも。 
http://asanojuji.blog61.fc2.com/blog-entry-312.html