[投稿日] 2016-07-03
「末弘博士と日本の法学」に末川博・我妻榮・潮見俊隆・野村平爾・川島武宜が寄稿。ほか平野義太郎、戒能通孝、等。
編集部「末弘博士著書論文目録」pp.78-84あり。
[投稿日] 2016-07-03
「末弘博士と日本の法学」に末川博・我妻榮・潮見俊隆・野村平爾・川島武宜が寄稿。ほか平野義太郎、戒能通孝、等。
編集部「末弘博士著書論文目録」pp.78-84あり。
[投稿日] 2016-04-23
「非売品」、國會圖書館所藏無し。
序文(尾崎芳治)
堀江保蔵先生
岡部利良先生
田杉 競先生
出口勇蔵先生
山岡亮一先生
島 恭彦先生
編者のあとがき(木崎喜代治)
書名中「第二集」は、函・本體の背文字では丸括弧が附かない。
奧附「発行者」は、經濟學部長の尾崎でも編者の木崎でもなく「代表者 伊東光晴」。
創立七十周年記念。堀江・岡部の分は『経済論叢』既出だが「形式の統一のための若干の修正を加えて、本書に再掲」(p.231)。
瀧川事件や上野文庫に關する回想を含む。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN13457004
[投稿日] 2016-04-23
「創立五十年記念」は標題紙にのみ添へられてゐる。「非売品」、國會圖書館所藏無し。
『京都大学七十年史』(一九六七年)との重複もあって學部五十年史を斷念し、そのために録音してゐたインタビューを代りに刊行した。
「序」堀江英一
はしがき
高田保馬先生の巻
本庄栄治郎先生の巻
小島昌太郎先生の巻
作田荘一先生の巻
石川興二先生の巻
蜷川虎三先生の巻
静田 均先生の巻
豊崎 稔先生の巻
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN13457004
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I054641506-00
[投稿日] 2016-01-10
有斐閣發賣。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2695697?tocOpened=1
碧海純一「科学的認識と価値判断についての覚えがき――佐々木毅助教授の批判に答える――」
国家学会八十周年記念論集(四)三谷太一郎「吉野作造の明治文化研究」
ほか
三谷論文については、三谷著への木庭顕の評「知性の尊厳と政治の存亡――三谷太一郎『人は時代といかに向き合うか』(東京大学出版会、二〇一四年)」(『UP』二〇一四年十二月號)を踏まへて關心あり。
http://www.sociallibrary.jp/entry/B00R6H6SEC/
[投稿日] 2015-12-22
通常號のB5判より大きくA4判。背では「別冊 談 夏号」と標記するがno.48は通號數。
帯附、挟み込みプログラム「TASC20周年記念シンポジウム 混合主体のエチカを求めて……60's~90'sのアメリカン・ゲーム」。
アルシーヴ社制作、年三回刊。
山内志朗「西洋哲学と主体の誕生」
横山茂雄「ナチズムはなぜ人種混合を恐れたか」
ほか
[投稿日] 2015-12-21
同題「(一)」~「(四・完)」として『國家學會雜誌』八十五卷七・八號(一九七二年十一月)より八十六卷一・二號(一九七三年四月)まで四回連載の合綴、奧附刊記無し。拔刷でも使ったか。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40001394224
http://ci.nii.ac.jp/naid/40001394229
http://ci.nii.ac.jp/naid/40001394231
http://ci.nii.ac.jp/naid/40001394235
紐栞まで附けた布裝ハードカバー。著者は丸山眞男門下にありがちな――實際は同じ東大法學部でも福田歡一門の由だが――寡筆且つ本出さない病の人らしく、それで斯く私に製本する需要もあったわけだらう。横にありし田中秀夫『ジョン・ミラー研究序説』(『甲南経済学論集』一九八二~八四年四回連載)も舊藏作製者同じかるべし、但しそちらは原紙ではなくコピーを綴ぢ込んでワープロで題扉を作ってあった。
元は一九七一年博士論文。
http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/gakui/cgi-bin/gazo.cgi?no=102423
http://ci.nii.ac.jp/naid/500000399445
「佐々木論文は重要な研究だと思いました。あれが出版されないままであるのはもったいないことです。彼に出版を勧めると、「あれは心ある人に読んでもらったらそれでよい」と素っ気ない返事をします」(田中秀夫『近代社会とは何か ケンブリッジ学派とスコットランド啓蒙』「第三章 自然法、共和主義、スコットランド啓蒙――水田文庫と私の研究――」京都大学學術出版会〈学術選書〉、二〇一三年七月、p.61)。
[投稿日] 2015-11-25
奧附刊記無し、發行月は背に據る。
富永茂樹「ミシェル・フーコー あるいは遊びの欠如について」pp.1-4
渡辺裕「コンテクストの無限増殖――現代の芸術体験と「遊び」――」pp.26-30
ほか十二篇
http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN0006833X
http://www.sekaishisosha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=display&code=920_leaflet
[投稿日] 2015-11-15
挾み込み三點、「自由大学雑誌 復刻版 月報」(山野晴雄「解説 自由大学協会の成立」、猪坂直一「自由大学雑誌発行の回想」、「自由大学関係資料目録」)、「「自由大学研究会」会員募集について」、孔版「自由大学研究会 刊行物」。
山野晴雄「自由大学運動の90年-自由大学研究史を回顧して-」大槻宏樹・長島伸一・村田晶子編『自由大学運動の遺産と継承-90周年記念集会の報告-』前野書店、二〇一二年
http://www7b.biglobe.ne.jp/~ningen_ikiru/jiyudaigakuundono90nen.pdf
[投稿日] 2015-10-23
Ⅰ 追悼 生松敬三
Ⅱ 思い出の生松敬三
Ⅲ 書簡より
Ⅳ 主要著書をめぐって
Ⅴ 付記、年譜 他
通常卷末を締めるべき「生松敬三 年譜」「生松敬三 主要著訳書目録」が、續く生松み祢「夫 生松敬三とその周辺」(pp.357-472)の長さの餘り、所を失った感あり。その熱意の分、充實し行き屆いた編輯の一册で、饅頭本では上出來の部類だらう。生松み祢「あとがき」に「手さぐりの作業に手間どりまして上梓が大幅に遅れて」(p.473)とあるのも宜なるかな。「お手伝いをねがった小泉淳二さん、美しい本に仕上げて下さった樋口至宏さん」(p.474)ともある。小泉は晩年の受業生、樋口は人文書院・鳥影社等で編輯者、奧附に「印刷・製本協力 鳥影社」とあり。
[投稿日] 2015-10-23
「非売品」、國會圖書館所藏無し。
http://myrp.maruzen.co.jp/book/ysd_a_gc1644/
本書は、版元サイトで全文PDF公開されてゐた。
http://www.yushodo.co.jp/wp-content/uploads/ysd_a_gc1644_li_kokugakuzasshi.pdf
『東京大学国文学研究所所蔵 本居文庫』「総記」の部に含まれるもの。
http://www.yushodo.co.jp/book/ysd_a_gc1645/
四雑誌を收めるうち『如蘭社話』『皇典講究所講演』については深萱和男『明治の国文学雑誌』(〈笠間選書〉笠間書院、一九七八年二月)も參照すべし。言及しない木野主計解題は不備である。神道イデオロギーを離れて考證性に注目した近代國學史の再編にもよすがとならう(Cf.藤田大誠『近代国学の研究』弘文堂、二〇〇七年)。
總目次はノンブルを採ってをらず、著者名索引も無し。
[投稿日] 2015-10-09
奧附刊記のみ「第七次48号」と誤記、背は「第四十九号」。
[投稿日] 2015-09-26
「特集:フーコーの遺したもの」
荒川幾男「フーコー――思想史的スケッチの断章」
野村英夫「bとpの間」
田村俶「賢者としての歴史家の死」
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/7971339?tocOpened=1
[投稿日] 2015-09-12
著者名は標題紙では小書きしないが「譯者序」p.3の表記に從った。函では「J・A・シモンヅ」、本體背には「シモンヅ」とのみ。同じ田部重治譯で同書名のペーター著があるので紛らはしいが、本書は「大英百科全書のために書いた「ルネッサンス」と云ふ一篇」(p.5)の飜譯である由。
奧附に「昭和九年一月十二日初版千二百部發行/昭和十四年十月二十五日二刷五百部」とあるも、間に一九三七年三月新裝版があったらしい。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA38690696
また、「ダンテとプラトンとの愛の理想」は副題といふより附篇の題であるが(田部譯『ダンテとプラトーとの愛の理想』人文書房、一九三〇年十二月、の改譯收録か)、圖書館目録には採られてない。函にのみ標記され本體に記載無き故か、或いは初版・新裝版には無かった附加かもしれない。
卷頭に「譯者序」(昭和八年十二月、pp.3-6)あり。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1237714?tocOpened=1
異版
『歐洲文藝復興史』人文書房、一九三一年二月 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1260196?tocOpened=1
『文藝復興 他一篇』〈改造文庫〉改造社、一九四〇年二月 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1689517?tocOpened=1
『文藝復興』日本文庫、一九四八年四月 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2993416?tocOpened=1
他に増田重光、斎藤祐蔵による譯もあり。
[投稿日] 2015-08-15
學史早わかりの足しに。
Cf. 『ジュリスト』「400号記念特集 学説百年史」 http://mediamarker.net/u/bookish/?mid=2288840
「編集後記」(p.248)に戒能通孝が「法律学の研究状況」を危懼して曰く、「公表されているところをみると、教科書、コンメンタール、法学教室等々の、ある意味できまりきったものが圧倒的に多数であって、本来新らしい思索が盛れない発表形式に封じこめられているような気持がしてならない。」「それらの名前を尊重するかぎり、あるいは実務家向きの、あるいは学生向きの解説であって、解説以上に出ることができないのが原則である。いいかえれば解説水準で立案する以上の能力がない編集者の計画にひきまわされ、量的には多くの成果が生まれているけれども、質的には独創的な仕事をする時間が食われ、ともすれば新らしい研究が阻害されているのではあるまいか」。確かに法學の門外漢から見ると、他の學問分野より學會誌・紀要に載るやうな研究論文の比重が低くて概説書や講座ものに新説が發表されることが多い風で、文獻參照系統に違和感を覺えてゐた。卒論の無い學部と揶揄される法學部の、實學なるがゆゑの偏向か。
[投稿日] 2015-08-15
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN12602673
[投稿日] 2015-08-07
最高裁判所司法研修所圖書室舊藏、裸本。
書名は、本文ページ冒頭の内題のみ「Edmund Burke 研究」と表記。
硬派な學術書の體裁ながら、平泉澄「序」はじめアンチ革命のためにする偏見が露骨だが、脚註の横溢ぶりを珍として買ふ。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3458728?tocOpened=1
[投稿日] 2015-07-25
小野清一郎『日本法理の自覺的展開』(有斐閣、一九四二年十二月)に對抗して、主にドイツ法・フランス法との比較法的研究によって「明治以後の法律及び法律學の發達」を綴った法學史。二〇〇九年にオンデマンド版の再刊あり。
目次 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045283?tocOpened=1
[投稿日] 2015-07-03
Phaenomenologica 25
メルロ=ポンティに見られる讀解法を評して曰く、「フィンク流に言うならば、相手の論拠で用いられている「操作概念」を、求心的な読解を介し「主題概念」へともちきたらす」(「序 メルロ=ポンティ〈の〉読解 レクチュールとエクリチュールのはざま」p.14)――出典註を附さぬが、オイゲン・フィンク「フッサールの現象学における操作的概念」(新田義弘譯、新田義弘・小川侃編『現象学の根本問題』〈現代哲学の根本問題8〉晃洋書房、一九七八年十一月)に據る。これを自身に施せば、「思想家にとって本質的なことは、彼が自分自身でずっと以前から適用していた当の方法を顕在化し主題化することでしかない」(p.50)。同じ傳で主題化されたのが、言語であるといふわけ。「第一部 語る語られた言語」では『行動の構造』『知覚の現象学』等のメルロ=ポンティの論が、行動主義心理學やゲシュタルト心理學が記述や説明に用ゐる言語への批判としてあったことを示す。「第二部 語られた語る言語」にて、ソシュール著と出會った中期以降におけるメルロ=ポンティにとっての主題概念となってからの言語論を讀み解いてゐる。フッサール(フッセルと表記)への參照が多いのは當然として(Phaenomenologicaといふシリーズだし)、ベルクソンが引合ひにされるのが目立つ。
[投稿日] 2015-06-15
奧附「編集協力 川村伸秀」「私家版 限定500部」。國會圖書館・CiNii所藏無し。
一◉『内田魯庵山脈』余録
二◉『内田魯庵山脈』を読む
三◉山口昌男の愛すべき迷惑
四◉トリックスターの古稀に寄せて
五◉山口昌男 年譜
六◉山口昌男 著訳書一覧
[投稿日] 2015-06-14
「特集:昭和史 前期 の中の科学」