[投稿日] 2010-11-16
http://westedit.exblog.jp/
[投稿日] 2010-11-16
http://westedit.exblog.jp/
[投稿日] 2010-11-07
[投稿日] 2010-10-21
[投稿日] 2010-09-27
理論的ディシプリン(訓練)が足りないまま、理論めかした感想文をあまり適切でもない事例を適當にまぶして綴ってゐる感じ。
目次 http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-3252-6
http://www.seikyusha.co.jp/wp/rennsai/yohakuni/blank44.html
[投稿日] 2010-09-17
二〇一一年七月ゆまに書房〈書誌書目シリーズ〉97「書物通の書物随筆」第5巻にて複刻さる。
http://www.yumani.co.jp/np/isbn/9784843336915
細目 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1905096/13
[投稿日] 2010-09-17
著者の『和田 恒 追悼文集 野分』(私家版、1981)への寄稿にも拘らず、この本で和田のことは觸れる程度であったのは案外だった。和田の病死は高梨茂の部下であったことからくるストレスのためと暴露されてゐる(p.228)。高梨のことをもっと知りたい。上司としてはひどい人格だったらしいが部下ならぬ讀者には知ったこっちゃない、編輯者としては「職人肌」「完全主義」(p.184)で企劃にシブい古本趣味が良く出てゐた。その嗜好のつながりで言ふと、『歴史と人物』編輯時のことに存分に筆を割いて貰ひたかった。本人も「私の中央公論社編集者時代でもっとも充実した三年間」(p.217)と言ふ位だから、『中央公論』や『思想の科学』の内情のことなんかより餘程面白くなりさうに思ふ。内紛や外患による治亂興亡を敍する方がジャーナリズムの需めには合ふのだらうが、本好きにとってそんなに悦んで知りたい事柄ではあるまい。
[投稿日] 2010-09-16
アナ聯で活動してゐたとは。法政大學圖書館(特に戸坂潤文庫)の記述が無かったのは當て外れ。
[投稿日] 2010-09-09
[投稿日] 2010-09-07
目次 http://www.minervashobo.co.jp/book/b71753.html
[投稿日] 2010-09-06
[投稿日] 2010-09-05
目次 http://www.idea-mag.com/jp/publication/b031.php
[投稿日] 2010-09-05
「うたごえ運動」の關鑑子が關如來(柯公全集編者)の娘だったとは……と、どうでもいい瑣末事を拾って悦ぶのみ。だって記述が淡泊で物足りないんだもの。所詮は詩人の隨筆だからか(←偏見)。
[投稿日] 2010-09-01
http://web.archive.org/web/http://www.editor.co.jp/press/ISBN/ISBN4-88888-222-3.htm
[投稿日] 2010-08-28
http://home.kobe-u.com/tokyo/topics/topics023.html#2004.09.15
[投稿日] 2010-08-28
第2版二〇〇二年八月、第3版二〇〇七年十二月、第4版二〇一三年十二月刊。
https://kotobank.jp/dictionary/tosyokan/
[投稿日] 2010-08-07
[投稿日] 2010-08-07
やはり、「こころ」を云々したがるものは性に合はなかった。それよりも、「技」と結びついた「考へ方」を明らかにすることが大事だし面白いと思ふ。心構へや職業倫理を文學的比喩で語る本は他業種でもありふれてゐるが、どうも、知情意で言ったら知が足りなくないか。いつの日か『校正の思考』や『校正の思想』の讀める時が來ますやうに。
[投稿日] 2010-08-07
この本を離れた一般論になるが、腹立日記が日記の藝のうちだと勘違ひしてゐるのは賢しらな人には多い、のかも。私憤に私憤を同調させ得る讀者には迎へられるにせよ、飮食店で店員に威丈高に怒鳴る客の横に置かれたやうな嫌な氣分も起こる。特に、本とあまり關はり無い不平不滿を聞かされると、さうだ。しかし本への批判なら怒りを丸出しにして良いのかといふと、やはりそこにも藝はあって貰ひたい。一體インテリの讀書家は陰鬱で神經質なものではあるが、小谷野敦らが時折見せるヒステリックなクレーマーぶりには似たくないものだ。
私生活はどうでもよいが、古本の蘊蓄を語ってゐるところは良い。
[投稿日] 2010-08-07
[投稿日] 2010-08-07